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(回答先: 割り箸訴訟と医療の不確実性 (日々是よろずER診療) 不確実なものを不確実として受け入れない人たち 投稿者 どっちだ 日時 2008 年 2 月 16 日 13:57:02)
http://www.wound-treatment.jp/title_new.htm
「遺族への損害賠償認めず 割りばし死亡事故 東京地裁」。この事件について常識的でまともな判断が下され,喜ばしい限りだ。この事件に関する限り,御両親の訴えは的外れであり,訴えられた医師に過失はないと思っている。割り箸を咥えて走り回っている子供がいたら,同様の事故は必ず起こる。そして,割り箸が脳味噌に刺さったらその子は100%死ぬ。どんな治療をしようと検査をしようと,子供は100%死ぬ。
もしも,同様の事故で子供を死なせたくなかったら,割り箸を咥えて走る子供を叱りとばして,泣かせてもいいからわたあめを取り上げるしかないのだ。
以下は,私がかつて作っていたピアノサイトのエッセイ欄で,事件発生直後の1997年7月14日に書いたものだ。それから10年を経た現在でも,基本的な考えは変わっていないので,当時の文章を再掲する。
縁日のわたあめを食べていた4歳の子供が転倒し,わたあめの割り箸が突き刺さり,命を失うと言う悲惨な出来事が起きた。この事故では,受傷直後に杏林大学付属病院を受診し,「異常なし」とされて帰宅し,翌朝に容態が急変した。そのため,マスコミの報道はどうしても,救急外来で診察した医師の手落ちではないか,というものになる。実際,「救急当番医が正しい診断を下し,迅速に治療をしていれば助けられた命なのに,それを怠ったばかりにいたいけな子供が死んでしまった」と言う主張ばかり紙面に並んでいる。
だが,この論調は正しいのだろうか。一つ一つ検証してみよう。
まず,予見義務について。
これを問うのは無理である。何しろ,口に物を咥えて転倒し,それが脳味噌に刺さるという事故は恐らく前代未聞であり,どんな論文にも教科書にも書かれていないはずだ。起こったことがない極めて特異な事故である。これを予見しろと問うほうが無理である。この事件以後なら予見義務が生じるかもしれないが,この事件に関しては予見することは医学的に不可能だ。
次に,死と言う転帰。
医学常識的に考えて,この子供は残念ながら,万全を尽くしたとしても死は免れなかったろうと思う。死亡率は100%である。超早期から治療(・・・と言っても抗生物質の点滴くらいしか手はないと思うが)を行ったとしても,やがて脳に起こるであろう感染症,そして死は必ず訪れる。死の時期を多少遅らせることは可能だと思うが,助けることは不可能だ。
口腔内はきわめて汚い環境である。ばい菌だらけである。しかも口に咥えていたのは,木の棒だ。これが脳に突き刺さったわけだ。木の棒が生体に突き刺さればそれを抜いても中にササクレが残ってしまう。要するに,ばい菌と感染源が揃っているわけだ。これでは感染は必ず起こる。従って,どんな治療をしても救命は不可能。
要するにこの子供の脳の状態は,交通事故で頭蓋骨が割れ,脳味噌が飛び出し,そこに木が刺さっているのと同じだ。この状態になったら,助ける手段はない。従って,治療をしなかったから子供が死んだという因果関係はない。
次に診断について。
断言するが,今回の場合,脳に損傷があったかどうかを診断するのはほぼ不可能だろうと思う。転んで口に咥えた棒が脳に刺さっている,というのは常識的には考えにくい。
医学における診断は,各種の所見を組み合わせ,最も確率の高い疾患から順に思い描き,消去してゆく作業である。割り箸のような太いものが,頭蓋骨と脊椎の間の狭い隙間を通って,脳に損傷を及ぼすことは医学の常識からはまず考え付かない。そして,CTなどの検査を行っても必ず死ぬし,検査しなくても死ぬ。
4歳の子供を突然失った両親の悲しみは,痛いほどわかる。私だって,同じ立場に置かれたら,誰かを恨まずにはいられないだろう。しかし,だからといって救急室で診察した医者を訴えるのはお門違いである。この当直医はベストの医療行為をしなかったかもしれないが,医学常識から見て特に不当というわけでも手抜きというわけでもないのである。
「子供が死んだのだから,誰かが責任を取らなければいけない」という論理を認めたら,それこそ,わたあめを売った露天商の責任,わたあめの割り箸を作った業者の責任,そもそも祭りを行った市の責任・・・ということになってしまう。これは明らかにおかしい。
もしも今回の事故で子供の死の責任を問うとしたら,口に鋭いものを咥えて走り回っている子供を叱りつけず,わたあめを取り上げなかった親にあると思う。物を口に咥えて走ったら危ない,というのは幼い子供を持つ親の常識であり,医学以前の問題である。
コメント 親の態度行為にあきれるばかり