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(回答先: 国民を「子供扱い」するのは、止めましょうよ 投稿者 最大多数の最大幸福 日時 2008 年 1 月 12 日 19:11:01)
>最大多数の最大幸福さん どうもです。
このような表現が妥当かどうかは別にして「人間には一定の比率で欠陥品」が含まれていると言えるでしょう。
おそらくは「大部分の国民」は「暇であっても、良からぬ事など考えない」のでしょう。
しかし「少数であっても、良からぬ事を考える人は、きっと居る」と考える方が妥当でしょう。
国民を子供扱いして「信じない」のは正しいとは言えませんが、「信じすぎる」のはもっと正しくないと言う気がします。
ベーシックインカムは「仕事をする気がない」という人が「圧倒的に有利に立つ」という制度でしょう。
もちろん、中間所得者以下の層は「基本的に得をする」のでしょうが、比率として、「仕事をしない方が、より得をする比率が高まる」のです。
「仕事を嫌いな人は、基本的には働きたくない」という人です。
もちろん、それだけではなく「働く運に恵まれなかった」というような「不幸」によって低所得に甘んじている人もいるのですが、それは、比率の問題でしかありません。
「仕事を嫌いな人は、働かないためなら、色々と知恵を絞ります。」
実際に「振り込め詐欺」という犯罪も多発しています。
犯罪予備者に「金を与えれば」全体的な犯罪比率は低下するでしょうが、そのような人が「金をもらっても、暇を持て余せば、やる事は仕事ではない」でしょう。
ここから先は「想像の世界」です。
>【努力した上でも、市場競争力が保てなかった場合は、こと農業に関しては、しっかり 所得保障してあげるのが良いと思っています。】
農業という事で一括りにしてしまうのなら「それも、一つの考え方」です。
しかし、「自然淘汰される」という農業は「日本国民の総体から協力を得られない」ので淘汰されるのも確かです。
「食の文化」という意味合いから考えると「日本の文化」の「保存」というのは「必要性」もあるでしょう。
しかし、政府が「テコ入れを半永久的に続ける事が必要」なものは「それに値する存在価値がなければならない」でしょう。
基本的には、その農業(農業全体ではなく、個別的な衰退農業)の存廃を決めるのは「Kでもないですし、最大多数の最大幸福さんでもありません。」
それは、日本人全体の選択なのです。
仮に「全日本人の選択に逆らっても、私は残したい」と主張されるのなら「そこから先は個人の行動」とならざるを得ないでしょう。
残したい人が「資金提供」を行い「労働力も工面する」と言う事です。
自分が「後継者に立候補してでも残す」との意見はKには出来ません。
感情論を持ち出せば「残した方が良い」とは思いますが、Kが「感情的に残したいと思っても」「淘汰された」のなら「日本の総体としての意思表示は、その農業は日本の未来に必要度が低い」と判断したという結果の表れでしょう。
逆に言えば「日本人の総体として、その農業は残すという判断になれば、その農業で生産された作物は、少々高くても買う」のです。
単純な「海外商品との差額」だけではなく「日本の未来に必要」と多くの人が思っているのなら、そう簡単に「自然淘汰はされない」と言う事です。
その点で「日本国民を信じて、見守るしかない」のではないでしょうか?