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(回答先: Re: 客観的な意見とは 投稿者 あっくん 日時 2008 年 1 月 07 日 11:54:47)
あっくんさん。
はじめまして。ご返信ありがとうございます。
>ただし、そんなことで受け入れられなくなるほど器の小さい人間ではないと思っているし
本来こんなところで終わらないと期待しているのもあるから問題ないでしょう。
ここの掲示板が活発になってほしい気持ちから、敢えて自分からトリックスター役を演じておられる様子がお伺いできます。(笑)しかし、慣れ合いにならずに適度な緊張感が保たれるような場にするには、個々の発言の内容は然り、管理者やそのサポーターの方たちの陰の配慮もあってのことだと存じます。何事も、主体的に運営するのは骨が折れる作業であると思いますが、どうぞ脇役として無理をなさらないようにして下さいませ。
>私は、学問の全体性の低下を回復するために
新たな思想を自分たちの手で取り戻そうと考えています。
それには今までの思想をもっと見直していくことが必要です。
脱構築でぶっ壊しまくった結果、どんな創造も意味がないかのようになり
理想を追求する姿勢が欠け、社会を良くしようとする動機も全くといっていいほど消え去ってしまった世の中。
要約いたしますと、1、学問の全体性が低下したこと。2、脱構築であらゆるものが相対化されたこと。ということでしょうか。
少しだけ申上げますと、学問が低下したと仮定すれば、脱構築は可能なはずはないでしょう。それは、脱構築がこれまでの思想を乗り越える作業を伴っているからです。理屈から言えば、過去と現在において、学問が低下したのならば思想を乗り越える手前で停滞するからです。ゆえに、1は学問の低下ではないと思いますがいかがでしょうか?
>それはもうそろそろ終わりにしませんかって。もっと自分が動かないといけないなって。
何に対しても意識をもたないことには始まらないので、なるべくそういう意識をもたせるような投稿をしていきたいです。
どちらかというと新たな思想を導くため
日本思想中心に東洋哲学からのアプローチの方を重視したいと思っていますが
西洋哲学から、いろいろ見出していくのも大切です。
そうですね。私も、生活保守主義よりも向上心を持ったままで思考を鍛えていきたいと思っています。機会があれば、あっくんさんが学ばれた哲学、思想を紹介して下さい。ただ、心配なのは古今東西の思想をしらみつぶしにあたるのは時間の制約もあり、良いものを自分なりに選択していかなければならないですね。
>観念的な思考は、それを用いない人間との対話を拒絶しがちだからです。
用いようが用いまいが、どちらが優秀ということはありません。
せっかくの意見が、ある思想を用いるもの同士の対話だけに終わってしまい
お互いの納得だけで満足し、大勢に理解されないのは残念なことです。
こういった対話は賢い方々に多いわけで、理解できない人を疎外しています。
どうやら普遍的な思考に繋がっていかないよう感じるからか、観念的なやりとりに虚しさを覚えているのかもしれません。
観念的なものが、むしろ思考を阻害する方向にあるわけですが、つまり、リアルな現実をそれまで培った観念で対処しようとすることで思考の働きを奪う方向に作用してしまうからです。観念も現実も両方持ち合わせているのが人間であり、そのいずれもが必要なもので、そこに一概に優越はつけられないでしょうね。
>むしろ、いわゆる知識人よりも一般人が自然に身に着けた知のほうが
観念的な知よりも普遍的であるように感じられ、非常に鋭く感激することも多いと言える。
一般人をなめてはいけない。それを理解した上で考えをどんどん深めていきましょう。
知識人に右派、左派といった違いがあるように、一般人といいましても千差万別でありましょう。ただし、違いを違いとして認めることは容易ではありません。人は往往にして思想、信条の違いで他者を排除してしまうものですから。
>ちなみに感情的な批判をする人であろうが
何か気づかせてくれることはあるわけだから
誰でも大切にしたいなって思っています。
本来、主観も客観もバランスよくいれていくのがいいのです。
はい。自分の長所だけの指摘なら問題ないわけですが、人は短所を指摘された時にこそ、本性が現れたりします。(笑)冷静に判断する能力を養うためにもバランス感覚を持ち合わせたいです。