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先日、26歳の日本人男性とサンフランシスコで出会って、色々と話をした。「日本人の若者も捨てたものではない」と思えるような体験だったので少しだけ。
私とはサンフランシスコ空港で会った。今時珍しく、大きなリュックサックに白いずた袋を持ち、色が浅黒く、日本人には見えない、どこか堂々とした感じのアジア系の男性が地下鉄の切符販売機の前でまごついている。私も地下鉄には今まで乗ったことがなかったが、今回はピック・アップしてくれる人がいなくて、それでは新規開通の地下鉄に乗ってみようと空港の駅に行ったのだった。
ところがサンフランシスコの地下鉄は日本のようにお金を入れたら自動的にお釣りが出てくる機械ではなく、自分でかかる料金を調べて、きっちりとした金額を入れるか、小銭がない場合は紙幣を入れた後、その紙幣分の金額を押して、カードを受け取るか、今回だけのチケットでいい場合は、お釣りの金額を自分で計算して、自分でお釣りを出さなければ成らない(5セントずつ出てくるので、50セントのお釣りが欲しい場合は、ボタンを10回押すという具合。市内のバスの場合は、どこへ行くにも1ドル50セントで、4時間以内なら往復でもそれが使えるが、きっちりした金額でないとお釣りはもらえない)。それでややこしいので、彼はまごついていたのだ。
「May I help you?」といったら、少したどたどしい英語で「切符を買いたいのだけど」といった。「どこから来たのか」と聞いたら「日本から」。それからは、日本語で話したのだが、「これからサンフランシスコのダウン・タウンに行くつもりだ」という。「あてでもあるのか」と聞いたら、「全然ないけど、ユースホステルのような安いのが探せばあるでしょう」という。私も2、3心当たりはあるので、では行こうという事で一緒に地下鉄に乗った。
彼は関西の出身で、高校を卒業して以来、約8年間世界を旅しているのだという。まずは東南アジアからヨーロッパに行き、パリで約6年間、フランス人カメラマンやデザイナーのアシスタントをやりながら生活。日本に帰国した後、今度は南米全部をバスで移動しながら旅を続け、日系ブラジル人の画家のアシスタントなどをしながら、約1年サンパウロに滞在。日本に帰国してアルバイトでためたお金で、「今回はほんの1ヶ月間の小旅行」だという。
なぜ「アーティストのアシスタントができたのか。コネでもあったのか」と聞いたところ、彼の父親が画家で、彼も絵が好きで何となくアーティストっぽい連中と町で出会い、仕事を紹介されたのだという。「ビザがなくても大丈夫なのか」と聞くと、「それは大丈夫だ」といった。6年間、パリにずっと住みっぱなしというわけではなく、その辺はうまくやっていたのだろう。おかげでフランス語は日常会話程度なら何不自由なくできるようになったとのこと。
そして、今回は日本からサンフランシスコまで往復7万円の切符を買い、サンフランシスコからLA-メキシコーグアテマラまでバスで移動するのだという。「いくら持っているのか」と聞いたところ、「20万円だ」という。それで全てをまかなうつもりだという。「それで足りるのか」と聞いたら、「南米を縦断した時の経験から行って、多分大丈夫だ。もし足りなくなったら、僕、似顔絵がうまいから、それで稼げるから」といって笑った。
「ヨーロッパと南米とどちらがすきか」と聞いたら、「それは南米だ。特にブラジルの絵は色彩が豊かで大好きだし、音楽も大好きだ。南米の人たちは、普通の庶民の人たちでも、何かあったらすぐにギターを引っ張り出してきて、弾く。子供達もものすごくうまい。それに皆、とても人が良くて、あったかい。生活はコロンビアやボリビアでは2万円もあれば1ヶ月生活できる。ペルーはそれより少し高く、ブラジルやアルゼンチンはもっと高いが、生活はしやすい」といった。
「ゲバラが好きで、彼が旅した道を自分もたどってみたが、むこうの民衆の間では今でも彼はものすごい英雄。若者達はアメリカのファッションにあこがれている人が多いが、政治になると反米派が多い」
彼の父親も若い頃は世界旅行をしていたらしいので、彼の生き方については何一つ文句は言わないらしいが、「アルバイトをしてはその金を全て貯金して、親から支えてもらいながら、旅をしているこの生き方も30歳までには何とかするつもりだ」といって、笑った。
彼は「できれば、将来は中南米に渡り、アーティストを目指したい」といっていた。「1回外へ出ると、いかに日本が息苦しくて、のびのび生きられない国かということが分かる。今回はグアテマラに行って遺跡を見るつもり。胸がわくわくしている」といって、目を輝かせた。
私はダウンタウンのユースホステルを教えて別れたが、20年後にどうなっているか楽しみだな、と思った。