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Kは思うのだが、この社会は歪んでいる。
取りあえず、一例を挙げてみると。
>【「だったら、お前がやれよ」としか感じない について。 どっちだ】
http://www.asyura2.com/07/health13/msg/482.html
という投稿がある。
多分であるが、この投稿【「だったら、お前がやれよ」】という「言葉(語句)」に嫌悪感を感じたのだろう。
おそらくだが、その根底には「奥ゆかしさこそ美学」というような日本人の習性が根底にあるのではないだろうか?
「それを言ったらおしまい」というか、「本音を言わない事を良しとするような習性」が日本人にはある気がする。
不言実行を好み、不平不満を嫌うという「文化」が日本で形成されてきているというのが良いのかもしれない。
これって、一種の「君主制下の全体主義の時代の悪しき風習の名残」ではないだろうか?
儒学・朱子学ではないが「社会はピラミッド構造になっていて、下層部は上層部の言う事を聞き、逆らってはいけない」という規律によって上意下達の『官僚機構』に日本全体が飲み込まれてしまっているという部分がある。
確かに、そのような「社会機構」は社会を正常に機能させるには一定の効果をあらわすだろう。「お年寄りを大切にし、先祖を敬い、お父さんお母さんを大切にする」のは悪い事ではない。
しかし、その反面、官僚機構というのは「天才の能力も奪い去る。」
歴史を振り返ってみた時には「常に時代を変えて、進化させてきたのは天才とも言える一部の偉人達の功績によるところが大きい」と言えるだろう。
官僚機構の中では「若造・新米の不平不満は切り捨てられる」
「不平不満」と「有意義な提言」の区別はなく、すべては「若造・新米の戯言」とされるのだろう。
儒学・朱子学を一概に切り捨てる事はできない。その中には「素晴らしいものも含まれている」
しかし、現実問題として、東洋文化は西洋文化と出会った時、西洋文化に負けたのである。
儒学・朱子学の下に形成された官僚機構という「文化」は「個人の実力主義が主体の西洋文化」に敗北をしたのが歴史的な事実である。
その点をどのように考えるのか?
それによって、未来を考えていく必要があるだろう。