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(回答先: 政治がわかっている者など存在しない。 投稿者 あっくん 日時 2007 年 12 月 01 日 21:30:09)
あっくんさん どうもです。
政治を分かっている人はいないかもしれません。
でも、政治を分かるように努力している人はいます。
そして、政治を分かろうとは「全く努力していない人もいる」でしょう。
>【それをわかっていてやっているエリート主義は矛盾を抱えています。
民衆がバカだという論理を利用しているのは誰かよく考えてください。】
ここが、問題の本質です。
ある一定層は「政治に興味を抱かず、政治を分かる努力を放棄している」のです。
それを知っていながら「あえて、興味の対象を政治以外の事に引きつけ、目を逸らさせ、政治を勉強させないように誘導しながら、それでも、投票には参加させよう」という事が行われているのです。
「民衆はバカだから、政治への参加に一定の資格を問おう」というのと、「民衆をバカになるように誘導しながら、投票の時には利用するために参加させよう。」というのはどちらが「マシ」な意見でしょう。
「利用する。」というのは「投票する権利を問う事」ではありません。
「投票する知識は与えないで、投票時には票としては取り込む」という行為でしょう。
「投票したくない者」には「投票させる必要」はありません。
私は「投票するだけの資格がありません」と「認める」のも一つの選択肢ですし「投票には行きたくない」という意識の尊重も大切でしょう。
それを踏まえつつ、「他人への投票依頼」は全て禁止にするべきなのです。
例外は「選挙の候補者(のみ)」が「自分の政見を訴えた上での「自分への投票のお願いだけ」で「候補者の家族であっても後援会の人であっても、候補者以外は投票依頼を行ってはいけない」とKは考えます。
他人に「今度の投票は誰にしたら良いでしょうか?」と聞くようなら「その時点で投票する資格はない」と言えるでしょう。
「選挙には金が掛かる」と言われますが、「金が掛かる選挙がおかしい」のです。
候補者が「地道に支持を訴え」
選挙制度の中で「制度が用意したポスターや政見放送」を有効に活用するだけなら、それほどの資金は必要ないでしょう。
選挙を無理にヒートアップさせ「お祭り騒ぎ」にする必要はありません。
重要な選挙なら、ほっておいても「マスコミが勝手に騒いで過剰な放送宣伝をしてくれるでしょう。」
無理に、投票率を上げる事に「意味はありません」
「参加しなかった人は、全権を委任した」と言う事でしょう。
それで、困った方向に行くようなら「不味いと思って、参加してくるでしょう。」
更に「他人に依頼されての票は組織票です。」
「自らの意志で投票した票でなければ意味もなく、価値もない」のです。
価値のない票での「民主主義での多数決」では「選挙」に意味などないでしょう。
民主主義の多数決ではなく「組織の綱引き」になってしまっているのです。
組織の綱引きでも「一種の多数決」に思われるかもしれませんが、組織の綱引きは「狡猾な方が勝つ」のです。
多数決ではなく「悪知恵合戦」です。
非情で卑怯な方が勝利を治めます。
これでは、社会は良くなるわけがありません。