★阿修羅♪ > 雑談専用27 > 264.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 貴方の論法は原発に代わる発電方法がまだ充分に開発されていないので原発に頼らざるを得ないという当たり前の論理です。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2007 年 11 月 24 日 20:42:19)
>ワヤクチャさん どうもです。
ワヤクチャさんの主張にも理はあるでしょう。
しかし、今回の主張でしたら、元の主張は
>【6−4−3 原子力発電は危険性が高く使用済み核燃料の保管にエネルギーを使うので廃止する。】
ではなく
>『6−4−3 原子力発電は危険性が高く使用済み核燃料の保管にエネルギーを使うので代替えの方式を研究し、縮小から廃止を目指す。』
になるべきでしょう。
途中経過とか改善策などを「すっ飛ばして、結論が先に来ている」のです。
原発には「問題点がある」のはKも知っています。
Kは「ある社会党系の労組に所属していましたから、原発反対運動にも一定の関わりを持ってきましたが、初っ端から、原発を国会議事堂のそばに作るべきだ派」です。
エネルギーを浪費しているK自身には「発電方法に文句を言う資格はない」と考えています。
エネルギーを浪費しながらの「原発反対」は「偽善」というのがKの基本的なスタンスです。
原発というのはすでに開発された技術です。
問題点があるならば「まずは、手直し、改善によって問題点が解消できないか?」
「核分裂が危険なら、核融合になったらどうか?」というような工夫から入り
同時並行的に進んでいる「他の発電技術との比較検討の中で、有効なものがあるなら廃止して切り替えるべき」であり、最初から「廃止」という結論があってはいけないのです。
「廃止」という結論を先に出して良いのは「電気を浪費しない人だけ」です。
風邪になったら、治すのが当然必要です。この場合は「結論が決まっている」のですが、発電法の場合には「原発は駄目」という結論部は「決まってはいない」のです。
現状で無理に結論を出すとしたら「国民が不便でも原発の危険性のリスクが大きいので廃止」という選択肢を選ぶという種類の結論になります。
これは「国民の判断項目」です。
原発が必要ないくらいに国民が「省エネ生活に協力する」ならば「原発の廃止はあり」ですが、そうでないのなら「新発電方式を開発してからの判断項目」にならざるを得ないでしょう。
「新発電方式が、のべつくまなくダイオキシンを撒き散らすようなような方式であっても、原発を廃止して切り替える」という話にはならないでしょう。
新方式の開発は必要でしょう。工夫は常に行うべきです。
しかし、「新法式」と「原発」の比較検討もせず、「捕らぬ狸の皮算用」で「原発の廃止を先行させる」のでは「結論の先走り」以外の何者でもないだろうと思いますよ。