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Kは思うのだが、犯罪を無くすために屁理屈をこねくり回しても駄目だろうと思う。
犯罪は「悪い事」とほとんどの人は「知っている」だろう。
しかし、それでもなおかつ「やる」のは「訳」があり、そこを取り除いてやらなければ犯罪は無くならないのだろう。
犯罪を研究し掘り下げ専門的な「知識を身に付ける事」で一般人には分からないような「専門用語の羅列で屁理屈を語っても犯罪は無くならない」のだろう。
犯罪の抑止力として「罰則の強化」に走っても「ばれなければ良い」と考える人は出てくる。
問題は「犯罪をするくらいしか生きる道が見いだせない人」に対し、「犯罪は悪い事」と教えても、「犯罪をしたら罰則を与えるよ」と言っても、それは「他人事」と考えている評論家の意見としか当事者には聞こえないと言う事である。
後が無く、犯罪にでも走らなければ「今後の生活が成り立たない」という人にとっては「言葉は無力」だろう。
必要なのは「具体的な救済」であり、それがなければ「一か八かの賭である事は分かっていても犯罪に賭けるしかない」のである。
「窮鼠猫を噛む」ではないが、飢え死にするよりも「犯罪」という具体策があるならば「その具体策に賭けるしかない」のだろう。
「戦争を欲する若者達」がいる。
その若者達は「自分たちの生存権は今の社会では確立されていない」と考えている。
社会の群衆の中にあって、社会から孤立し、自分の敵に囲まれているような気分で日々を暮らしているのだろう。「周りにあるのは自分を受け入れてくれなかった人たちの社会であり、自分たちは異邦人なのだ」というような思いをいだいているのだろう。
彼らに見えている具体的な救済策は「犯罪(振り込め詐欺などの集団に入る事を含む)」か「戦争によるリセット」なのだろう。
その彼らに対し「他人事のように屁理屈を並べ立てる」のは「他人事として捉えている証拠」にしかならないのだろう。
彼らに必要なのは「右派とか左派などという思想」ではなく「戦争や犯罪」に勝る具体的な「救済案」なのである。
それが分かっていない人が多いから「犯罪が無くならない」
もちろん、Kごときでは「ろくな案は作れない」
もっと、専門知識を持っている人の協力が必要である。
だから、一緒になって「アイデア」を出し合おうならば良い。
しかし、馬鹿は引っ込めで、何が前進するのだろう?