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(回答先: 絶望の貧困層が「瀬戸際外交」を始めたんだと認識しています 投稿者 最大多数の最大幸福 日時 2007 年 10 月 03 日 21:52:17)
最大多数の最大幸福さん、こんにちは、レスをありがとうございます。
>本題ですが、如往さんのお話と如往さんが紹介してくださった方の文章を読みましたが、まったく以って、現状維持ですね。
何を指して“現状維持”と断じられるのか、例示されて、理由をお示しいただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。
>「戦争がいけないこと」なんて、赤木氏もわたしも、そんなことは、百も承知のことなんです。 あえて言えば、団塊ジュニアが、「瀬戸際外交」を始めたんじゃないか?そう思っています。 赤木・金正日が「核を持ってるぞ。核を使うぞ。」と脅しながら、既得権益層に、利権の一部の 割譲を迫っているのです。 本当は使いたくもないし、使わなくても問題解決できるのならば、それに越したことはないのです。
昭和48年生れと云えば、ひょっとすると最大多数の最大幸福さんも親達の年代のことを別にすれば団塊ジュニア世代に属しているのではないでしょうか。私の年代の周辺では大学卒業後間もなく結婚にいたる所謂同年生のカップルが多く見られましたが、その中には最大多数の最大幸福さんと同じ年頃の子息・子女を持つ人達がいます。そこで、大へん不躾な質問なのですが、最大多数の最大幸福さんは絶望の貧困層にあると自覚されているのでしょうか。そうであれば、団塊ジュニアが「瀬戸際外交」を始めたとのご推察は十分頷けるものですし、同時にその理由が何なのかについても掘り下げられる当事者能力を有しているわけですから、是非論考を進めて行って欲しく思います。
>このことを、低俗なテロリストの交渉手段と一刀両断してしまうことは、簡単ですが、 じゃぁ、平和的言論で、現状改善の提案をいろいろしてきましたが、この阿修羅ですら、 マトモに取り合ってくれた人が居ますか?と、言いたい。 おそらく、記事の転載だけじゃなくて、自らの言葉で、弱者の視点で、現状改善策を 一生懸命、提案してくれていたのは、考察者Kさんぐらいである。
“弱者”とは一体誰を指し、“弱者の視点”と何を指しているのでしょうか。寧ろ“小さき者”と云った言葉の方が私には違和感がありませんし、“小さき者”は「力の小さい者」であって、断じて“弱者”ではありません。しかし、我々は「力の小さい者」達であるからこそ、力を結集して自らの生存権を確保していかなければならず、また時には自分達の生存を脅かすような大きな力に対抗していかなければならぬでしょう。
今までにも何度も指摘しているのですが、考察者k氏の提案(言説)には力の結集の理論が欠如しているのであり、既に氏はそれを探究すべきフェイズに来ていることに気がつくべきであるのに、何時まで経っても自覚されないようです。
>他の論者は、単に、憲法さえ守られれば、それで万事解決程度の超単純思考だ。 現行憲法下であっても、希望のない生活状況に絶望している人は、まったく、救われていないのだ。憲法なんか、ハッキリ言って、さっさと改正されてしまえばいいとすら思っている。 そうすれば、もう、すり切れた「護憲」「護憲」の思考停止スローガンを聞かなくて済むようになる。 いいですか。いざという状況になったら、たとえ、現行憲法下であったとしても、戦争なんて 起きるべき時には、起きるもんなんだと思っています。 本当に戦争したくないんだったら、憲法のような空疎な条文を守ることよりも、格差是正することだ。 わたしは、そう考えています。
上に提示されているIssueの数々が、果たして最大多数の最大幸福さんの体験あるいは思考実験(検証過程を含む)から発しているものなのか判然としては来ないのですが、私が不明なるが故でしょうか。勿論、戦争を誘発させる内因としては(経済)格差の問題が挙げられるとは想いますが、それが憲法の条文を護持することとどう関係するのでしょうか。格差等の国内の窮状を国外に転化して問題の解決を図ろうとしたことが先の大戦の一因にもなっていることは明白ですし、そのように格差是正の政策が却って戦争を惹起してしまうこともこれからの世界においても考えられないことではありません。
仮に戦争が人間という生物のConatus(自己保存力)の展開上は避けては通れない事象であったとしても、それと同等に平和裡に克服しようとする叡智が人間の営為を形成していることも忘れてならないと考えます。
>わたしの生まれ年である、昭和48年に、自民党の青嵐会が、発した声明があります。
>特に「いたずらな論議に堕することなく」という部分が大事です。 具体的な対策の提案、討論を、切に、望みます。
青嵐会ですか...、私にとっては確か学部卒業年次の頃のことだったと記憶しています。前年(1972年)の日中国交正常化を契機にした交流の活発化の潮流が高まる中で、それに対抗する勢力の結集であったことは承知していましたが、あまり気には留めていませんでした。
けれども、最大多数の最大幸福さんが想像されるが如くの、当時の青嵐会が「いたずらな論議に堕することなく」と言い募りつつも、「広く衆知を集め公論に決する」と云ったような姿勢であったかどうかは、今でも甚だ疑問に思っています。
また、会いましょう。