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(回答先: Re: Kの独り言 不満を主張できない環境がガンである。 投稿者 平枯田釈迦依 日時 2007 年 10 月 02 日 18:31:12)
>平枯田釈迦依さん どうもです。
正直に申し上げて、Kには平枯田釈迦依さんの言いたいことが分かりません。
支離滅裂というか、その場の思いつきの羅列である文章の集合体というような感じの文章だと思っています。
短い文節は「意味は分かります。」が、総体として「意味をなしていない」のです。
例えば
>【今までの考察によれば人間とは「不条理な存在」と言えます。しかし視点をマクロ、ミクロに置いて考察すれば不条理性は解決出来るかも知れません。それはこれからの自然科学の進歩に掛かっています。しかし、環境問題を解決するには残された時間がありません。】
というのは、意味はあるでしょうし、何か「訴えたいものがある」のだと言うことは分かりますが、『では、何をしたいの?』の部分が抜け落ちているのです。
文章(言葉)というのは人間同士の伝達方法(=コミュニケーション)です。
起承転結の起や承が積み重なっても、相手には何も伝わらないでしょう。
平枯田釈迦依さんの文章は「そのような類の文章」になっています。
多分ですが、「自らは語らず、回答は相手から引き出す」という事なのでしょうが、Kは読心術者ではありませんので、「相手の気持ちを察する」なんて事はする気はありません。
表題の通りですが、「人々をどこに導きたいのか?」を平枯田釈迦依さんが語ることで「対話」が始まるのであり、それを切っ掛けにして【哲学】に発展することもあり【真理の探究】に至る可能性もあるのでしょうが、「気持ちを察しろ」では、【対話が成立しない訳】の方が成立するのでしょう。
ここは、阿修羅の雑談板であり、「対話」をする場所です。
それとも、【環境問題を解決する】ために『人類の間引き』のために戦争をするべきだと主張されたいのでしょうか?
「ミクロ」(人間)の視点では、人類の恒久平和が良いのでしょうが、「マクロ」(地球環境)の視点では「人類というガン細胞のような存在はいりません」よね。
深読みすれば、何を考えているのか想像することは可能ですが、それを「相手が語らない限りは、あくまで仮説(=多分、こんな考えだろう)です。」
仮説という不確実な土台の上には、どのような対話をしても「砂上の楼閣」でしょう。
【従って社会科学的な具体論を敢えてしないでいるのは、その時間を私に残された分の無駄な消費に使いたくないのです。】
「急がば回れ」の格言もありますが、説明のない対話では、逆に時間の浪費だろうと思います。