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(回答先: Re: Kの独り言 不満を主張できない環境がガンである。 投稿者 考察者K 日時 2007 年 9 月 16 日 11:56:27)
考察者kさん 暫くぶりです。
私とは対話が成立しないと思い始めているkさんに今更書くのはkさんを煩わせるだけで
すね。kさんが「憑き物落としの呪い士」とは考えていなかった私が愚か者でした。
kさんの言う一般論と具体論に峻別して議論をするのは、先ず一般論(考え方)を議論してからでないと具体論に入っても空回りするばかりです。それより一般論という言い方にも問題があります。kさんの言う「一般論」の吟味が必要です。寧ろその人の哲学と言うべきでしょう。哲学は時代と共に変わります。真理の探究はその時代の自然科学が解明した誰でも納得する普遍性を持たなければなりません。その点では人文科学や社会科学とは違います。宇宙、太陽系から見た地球、その中で生きざるを得ない人間と言う存在。又、生物学が分子生物学に進み、デカルトが考えた機械的生命観の先にある生命体の究明も変わってきます。生命が「動的平衡状態」と見るのが現在の真理と言えます。DNA=遺伝子が人間の存在を規定していると見るのが現在のところ妥当なようです。
食物連鎖の世界で生きる人間の権利とは何かも問われなければなりません。kさんの言う環境は社会的環境でしょう。人間が恣意的に作る環境は先が見えません。現在の温暖化問題、資源枯渇問題、核開発問題は何れも文明の発展によって齎されています。
今までの考察によれば人間とは「不条理な存在」と言えます。しかし視点をマクロ、ミクロに置いて考察すれば不条理性は解決出来るかも知れません。それはこれからの自然科学の進歩に掛かっています。しかし、環境問題を解決するには残された時間がありません。
個人としての人間に寿命があるように、現世人類の終焉も確実にあります。その時期は何時かは未だ分かりません。具体的に見えてきた時には既に遅いのです。
この様な見方を単純に悲観論とは見ないで、今、この時を与えられた生命の存在を能動的に生きるのが人間の限界であり、それを弁えて賢明なる考察者kさんが懸命に洞察されん事を祈ります。従って社会科学的な具体論を敢えてしないでいるのは、その時間を私に残された分の無駄な消費に使いたくないのです。
対話が成立しない訳ですね。