★阿修羅♪ > 雑談専用25 > 865.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 働かない人間が多いと、世の中が、しんどくなる 投稿者 最大多数の最大幸福 日時 2007 年 9 月 17 日 11:19:20)
最大多数の最大幸福さん、こんにちは。
先日は以下
農作物、漁獲物を近隣で消費する。
http://www.asyura2.com/07/idletalk25/msg/721.html
Re: ホームレスの人は、なぜホームレスなのでしょう?
http://www.asyura2.com/07/idletalk25/msg/720.html
へのお返事ありがとうございました。
ワヤクチャさんへもこの場をお借りましてお礼を申し上げたく思います。
お返事も差し上げずに申し訳なく思いましたが、わたしへのレスにお手間を取らせるのも憚られましたので、そのままにしてしまいました。お許しください。
さて、又気が付いたことをここで書かせていただきます。
>自分は働かずに、世の中の物品・サービスを得るということは、働いている皆さんに対して、多大なるご負担を与えているんだという認識を、しっかり持っていただきたいものです。
についてですが、、
確かに、仰ることは理解出来る様な気がいたします。
しかし、論理や理屈というものはそれを作成した人間の視点でしか語られないということもまた事実です。そして、今私たちを取り巻いている常識や理屈も、過去に、または現在において、特定の人物によって作られた論理であり、理(ことわり)であるわけです。
この事はつまり、人は限られた視点で思考された物事を信仰しているという現実を意味します。
例えを出さねば説明が出来ないので、例えますが、
現代人は、清潔とか秩序を過度に追い求めます。
必然的に不浄なもの、混沌を忌み嫌います。
不快、不愉快の感覚を親や先人から教わるので、ライフサイクルの理屈を学ばない限り、微生物やカビ、原生動物の役割を知ることはありません。
昔のことわざですが、“臭いものに蓋”という言葉がありますが、そう云ったものの存在を許さない、暗黙の了解が現代人にはあるように思います。
それは、消費と云うものを煽る宣伝にも大いに利用されてきた形跡がありますが、、。
一方、肥だめを肥料に使っていた江戸の頃は、同時代のヨーロッパよりもずっと清潔で美しかったという文献も残っておりますが、、。
見たくないものを見ない、知らない、ということがあまりに多くはないでしょうか?
例えば、対テロ戦争の被害者、発展途上国の貧困、環境汚染、家畜の屠殺、、、
我が身を綺麗に取り繕う為に、他を穢しているという現実の数々。
以下はガンジーの言葉ですが、、
マハトマ・ガンジー
出典: フリー引用句集『ウィキクォート(Wikiquote)
』
http://ja.wikiquote.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8F%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%BC
>弱いものは赦すことができません。赦しとは強いものの性質なのです。
>"The weak can never forgive. Forgiveness is the attribute of the strong."
我々は“はたらく”と云う言葉の意味もさることながら、それぞれの役割を知る為の努力も必要なのだと思っています。
あたかも、おわいの中の蛆を駆除するがごとく生きる現代人の愚かさも知るべきです。
わたしが最も重要であると感じるのは、人々の気付きであり、許しであると思います。
それぞれの役割を知り、お互いを理解しようとする努力と寛容さ、、。
現代の人間の世界は、あまりにも嘘に満ちていると思っております。
そして、わたしも、同類の嘘つきであるとの自覚の上で、未来への一条の光を探し追い求めております。
もしかしたら、平等という言葉がいけないような気もいたします。
上に立つものこそが、己を恥じ、謙虚に学ぶ、、
そんな世の中がなければなりません。
江戸の三百年は、そんな時代だったのだと思っております。
以上、思いつくままですが、、
失礼いたしました。