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(回答先: 人がいなければ何事も為し得ません。 投稿者 考察者K 日時 2007 年 9 月 11 日 07:04:07)
こんな事を書くと「逆恨みを受けそう」ですが、一応書いておきましょう。
Kは「公務員バッシングする人は人間性に問題がある。」と考えています。
「犯罪者バッシング」とか「制度に対する問題提起」なら問題はありませんが、公務員バッシングは別でしょう。
「親方日の丸」「潰れない」という公務員ですが、基本的には「誰にでも職業選択の上で選択し得た職業」です。
結果論として「なれなかった」のか「ならなかった」のかは別にして、全ては「自己責任」の上に「今」があるわけです。
「公務員が最初から不公平に有利」ならば、公務員バッシングは成立しますが、誰にでもなり得た「選択可能の選択肢の一つ」であったのに、今現在は「自分の選択した職業より有利に見える」からバッシングというのは「人間性に問題あり」でしょう。
また、なりたかったが「なれなかった」のなら、これは逆恨みでしょう。
この場合には「バッシングする」のではなく、公務員以上のサービスを構築して「公務員を駆逐する」しか見返す方法論として不適切でしょう。
ただ、公務員制度そのものには欠陥も多々あります。
ここは「見直し」場合によっては縮小・廃止は必要でしょう。
しかし、その場合においては「その場で働いていた公務員の保護」を最優先に考えなければなりません。
彼らは「その職業を選択時には、その時の労働条件で契約した労働者」なのです。
その時の労働条件は「細く長くの身分保障された公務員(安給与だが悪いことをしない限りは定年まで安定雇用)」を国(もしくは自治体)が保証して雇用契約を結んだのでしょう。
例えば、郵政職員、もうすぐ民営化ですが、国が一方的に「公務員の契約違反をするのなら、通常時の3倍くらいの退職金を支払った上で、新会社に再雇用」が妥当でしょう。
公務員というのはハイリクスハイリターンを期待した職業ではなく、ノーリスクローリターンという職業選択だったのでしょう。
それが様々な事情と情勢の変化で「変わる」のは仕方がないとして、国が保証した雇用契約は国がある限りは「履行努力義務があります。」
これが、履行されなくて許されるのは「国家破産」が確認された時くらいでしょう。
これを、後押しする国民は「何を考えているのか?」
「明日は我が身」を全く考えようとしないのでしょうか?
信頼性が全くない国家を作り上げ、そこに住む事の意味が理解できないのでしょうか?