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(回答先: 良かれ悪しかれ、これは自分が共に歩いて出来た社会ではないのか 投稿者 山本元一 日時 2007 年 9 月 07 日 15:03:33)
山本元一さん、はじめまして。
> それなら我々は死ぬまで逃げずにこの地域、社会、国、世界に責任を持たなければならない。程度が高かろうが、低かろうが自分にも責任があるのではないか。何者も恐れず仲間と相談して自分にできることを実行しよう。
短い文章ですが、仰りたいことが凝縮されている様な気がいたします。
私も御趣旨には賛同する気持ちが強くあります。
責任ということですが、現代人には自由と云う免罪符があるようです。
この言葉は、都合よく使用される為にどんな我が侭に対しても、ある種反論出来ない威圧を伴い使用されます。
つまり自由の名の下に、責任を回避する為の言動が生まれるのです。
戦後、私たちは民主主義と云う思想とともに多くの新しい思想をまるでスポンジのように吸収し、受け入れました。
敗戦国ですから、反抗は許されません、老若男女、自由や平等、愛、平和、、、
素晴らしい言葉をただ受け入れ、それまで培った伝統を古いものとして葬り去ってしまいました。これは私の感想です、あくまで、、。
それまでの日本は伝統の中にあり、地域の伝承を重んじ、その地域性、特色を人々が進んで伝承し、継承していった歴史があったように思っています。
つまり、他とのつながりを重要視する思想があったのです。
>何者も恐れず仲間と相談して自分にできることを実行しよう。
仲間、、、
現代の有様は、個人主義に象徴されます。
まさに、つながりを断ち切る為の個人主義だったのではないでしょうか?
今や、村社会は壊滅しており、共産主義の影響による労働組合の活動も弱々しいようです。
過去の村社会は確かに閉鎖的であり、今の時代にはそぐわないものだったのかもしれませんが、反面、地域を守る為の責任を村人皆が果たしていたということも言えます。
いうなれば、おせっかい屋さんがとても多い時代でした。
戦後、貧しい時代がありました。
お互い様の精神で人々は団結しましたが、その後発展反映の後に、豊かさがそれらの美徳精神を駆逐したのです。人々は、繋がることよりも、ばらばらになることを求めたのです。
もはや、助け合いの精神は失われてしまいました。
このままでは、人々の孤立化が進む一方なのだと思っております。
大事なことは、つながりを断ち切ることではなく、つながりを知り、学び、継承してゆく知恵なのだと思います。
環境、地球、宇宙、、
ばらばらではうまくゆくはずがありません。
さて、どうしましょうか?
提言だけで、申し訳ありません。
失礼いたしました。