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(回答先: 新党を作る以前に政策シンクタンクができないか? 投稿者 ワヤクチャ 日時 2007 年 5 月 05 日 08:15:44)
1 憲法9条をそのままにする。
1−1 戦争が起こせないような近隣諸国との関係を構築する。
1−2 軍縮会議を開催する。
1−3 軍需産業を縮小する。
1−4 自衛隊は災害救助隊に転換していく
1−5 自衛隊を外国に派遣するのではなく、それぞれの国が自国で災害救助などがで きる部隊を作るように支援する。
2 アメリカから独立する。
2−1 アメリカの戦争に反対する。
2−1−1 米軍のイラクとアフガンからの撤退を要求
3 弱者救済の政治を行う。
3−1 ホームレスに住宅を与え仕事を与える。
3−2 生活保護の充実と就職支援を充実させる。
3−2−1 生活保護依存症を改善する。
3−3 最低賃金の引き上げ(時給1000円以上)
3−4 食品に対する消費税の全廃
4 生活党を結成しよう!
5 年金は通帳にして払った金額の残高が分かるようにしておく。
5−1 その金額は最低限もらえるようにする。
5−2 給付プランも自分で要求できるようにする。
6 税制は金持ち増税、貧乏人減税をする。
7 イスラエルに対する経済制裁を!
8 選挙におけるネット利用を承認する。
この中で実は一番難しいのが1−3ではないかと思います。軍縮会議なら第一次・第二次大戦前にも行なわれていましたし、近隣諸国との友好関係構築なら大国の権力者でも考えるでしょう。ところが、冷戦末期も軍縮条約が何度も締結された後、軍拡時代に突入しました。やはり第二次大戦前と同じパターンになってしまった。第二次大戦前は不戦条約というのも締結されたかと思います。
軍需産業はとても巨大な産業です。冷戦直後には軍需から民需への転換が行なわれたかに見えた時期もありましたが、結局はうまくいかなかった。極端に言えば、他の全てが実施されながら、1−3のみが実現されずに全てが反転する可能性もある。戦後日本、あるいはルーズベルト政権成立・ケインズ主義以後の先進国の過程自体がそのようにも見えます。
冷戦終結後、一時カシミールやスリランカ、パレスチナ、レバノンで和平ムードが高まった時期があったが、吹っ飛んでしまった。イスラエルは結局、南アフリカのアパルトヘイト政権と違って、南ベトナム独裁政権のような滅び方をするまでパレスチナ難民の帰還を認め、占領地から撤退する事はないでしょう。世界中、国内外でこれほどイラクからの撤退を求める声が高まっているにも関わらず、イラク三分解という石油資本の意志は貫徹しています。この巨大利権を持った意志を別の平和的な方向に向けるのは容易は事ではないようです。どうすればいいか模索を深めるのが、私達がこのサイトに来る目的の一つとして良いかも知れません。