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ちょっこっと思いついたので、忘れない内に書いておこう。
切っ掛けは
【レッテルを貼る事で何がしかの事を把握したかのように錯覚する ワヤクチャ】
http://www.asyura2.com/07/dispute25/msg/546.html
を読み【「浅野も石原も同じ資本の許容範囲」というような大雑把な認識では真理には近付けません。】に条件反射的に考察したのが、切っ掛けである。
「資本の許容範囲」というのは、資本主義社会の容認とKは考えた。その一方で「資本家階級層の都合においての許容範囲」という意味でも考えた。
現実問題として、現在の日本で暮らす人は「共産党支持者も含めて、資本主義社会を容認している」だろう。泥棒以外の行為を行って「今日の食事を食べる」には対価報酬としての労働を行って、食事を手に入れているはずである。学生以下の未成年は「保護者」が同等の行為を代行している事が多いが、日本で暮らす大多数の人は「資本主義社会」を容認し、その社会のルールに従って生活をしているのだろう。
共産党も機関誌の販売などを行い。資本主義の枠組みの中で「活動資金」を確保、使用しながら活動しているのだから、資本主義社会を是認していると言えるだろう。
この時点で「ワヤクチャさんの意見」は、【「資本の許容範囲」というのは、資本主義社会の容認】という意味ならば意味を為さない。
残るのは「資本主義社会を容認する」ではなく「資本家サイドから容認される」という許容範囲なのかな?と思った。
簡単に言えば「金持ち・大企業役員を中心にした是認がされるか?」という「東京都経済同友会(イメージ的仮称)の会員に仲間入りさせてもらえるか?」という意味に近い意味だろうと言う事である。
そこまで、考えた時に気がついたのだが、経済界を中心にした「経済人」の感覚では「国境という概念は、すでに意味を失っている」のである。
日産ルノーではないが、社長、役員が外国人によって構成されているという企業も増えているし、事実上外国資本の会社も増加している。
利益重視の共存共栄が経済界では達成されつつあるのである。国境は撤廃されていると言えるだろう。
その中で「庶民」は外国に負けない「教育」と「マスメディアからの誘導」をされている。
クラス対抗の運動会ではなく、戦争を含めた「対抗心」を植え込まれているのである。
「教育」もしくは「政治」が、時代の変化に取り残されているのか?
それとも、「庶民」に「正確な社会システムを悟らせないようにしたい」のか?
経済の社会においては事実上、解消されつつある国境という概念が、政治の場面では「愛国心」に変わる。
やっている事が矛盾していると言えるだろう。
中国に「進出して商売をしている」経済があるのに「中国を仮想敵国」として想定しようという一部の思想も存在するのである。
神奈川と千葉は「住民的には仲が悪い」という見方がある。これは、東京に近い都会における「どちらが、文化的か?」の威張り合いという意味であり、そんな低俗的なプライドの事には意を介さないと言う人は多いだろうが、まあ、仲の悪い部分もあるとして、県同士の戦争という武力行使を心配する人はいないだろう。
その意味で言うならば、経済的な国境の消滅は、国家間の戦争を消滅させられるはずである。同じ地球人ではないか、と考え、ともに助け合う共助共援は可能なはずである。
http://list.jca.apc.org/public/aml/2007-April/013043.html
によると「アイスランド共和国は非武装永世中立国」だそうである。
非武装中立は決して理想論ではなく、すでに実在するのであり
国境と言う概念も「政府」と「国民」には「概念」として存在はするが、これは一種の「憑きもの」でしかないのである。
地球人と思えば「仮想敵国は存在できない」し「日本沈没」でもあれば、日本以外の国に助けてもらうしかないのである。