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右派度という物を少し考察してみよう。
某都知事は「三国人発言」などもあり、右派度は85%くらいと思える。
某候補者は「憲法護持」とか言っているし「君が代強制には反対」とも言っているので、まあ45%程度だろう。
で、某共産党候補は、まあ、25%程度にしておこう。
Kからすれば、85%と45%の差は大きいと思う。
しかし、共産党の洗脳者には「25%」以下でなければ「同じ」に見えるようである。
バランス感覚も何もなく、常に正しいのは「自分らの主観」なのだろう。
前に「憲法改正問題」を考えたことがある。
Kは護憲の立場だが、改正議論は受けて立ち、議論的な勝利によって「日本国民の承認を得るべき」と主張した。
それに対し、阿修羅の多くの人は「議論に応ずるべきではない」と主張した。
護憲勢力が徹底的な城に籠もっている内に改憲派は体制を整えた。
この状況は「外堀、内堀が埋まった、大阪城の状況」と同じだ
「共産党洗脳者」は「淀君」と同じで「全く状況が分かっていない」のだろう。
状況は「国民投票法案」に対して「条件闘争」をするしかない段階まできているのに、未だに「絶対拒否」を叫ぶだけという左派も多い。
救いようのない「思考停止」とも思うが、右派がしっぽを巻いて引き上げる可能性があるのなら「絶対拒否」でも一つの方法論だろう。
牛歩戦術では結論を僅かに先延ばしをする「ブレーキ的」な効果しかない。そもそも、牛歩戦術自体が「負けを容認した状況下行動」であり、戦術なんてものではない。決まってしまったら、さっさと諦めて気持ちの切り替えをして、明日の巻き返しを考えた方が良いくらいであろう。国会の牛歩戦術によって、多くの人が野党に愛想を尽かすという部分も考えるべきであろう。
左派の右派度は低い、低いから左派なのである。これは猿でも分かる理屈だろう。
右派度50%を基準として、25%近辺以下に左派ゾーンがあるとすると、左派の「価値観は大きく標準からずれている」と言う見方が成立する。
「左派からすれば、標準が間違っている」であろうが、ここが視点の差であり、バランス感覚の差なのだろう。
「標準が正しい」とは言えないが、民主主義社会においては「標準域にいる人」を味方にして多数派形成をしなければ「どんな政策も実現しない」のである。
更に言えば「政策」というのは「多くの人が望む事を為政者が行う」というのが基本である。
某左翼政党が「この指止まれ」として、少数の賛同者しか得られないのなら「その時点で、その政党の価値観が間違っている」と言うことが実証されてしまっている。
「私は正しいことを主張している」と言っても「それはすでに間違っている」と結果が判定していると言うことである。
それ以上の強弁は「自分の価値観の押しつけ行為」にしかなり得ないのだろう。
Kは「日本国憲法」は良い憲法だろうと思っている。
「天皇」については、少し、変えた方が良いという気もするが、伝統文化や歴史の意味合いから「多数派たる国民が不要」とするまでは「残しておいても良い」だろうと考えている。ただ、将来的に「皇室」の存在が国民の負担感によって、維持できなくなるだろうとは思っている。もう、自分の命、生活を犠牲にしてまで「天皇制度を維持したい」という価値観が多数化する事はないだろうと思う。
そのKの意見は「Kの主観」であり、それとは違う「他人の価値観」もある。
「Kの価値観」と「他人の価値観」を比較した時、「Kの価値観の方が絶対に正しい」と言い切ることは出来ないだろう。Kは浅学非才のアホである。
もちろん、Kの価値観が「間違っている」とは言わないが、修正をしなくても良い完成度は有していないとは思う。Kの知らない事実は山とある。Kは間違いなく不完全であり、Kは神様ではないから、自分の価値観に「絶対」という冠を付けられる訳はない。
それが、一部の人は自分価値観に「絶対」という冠をたやすく付ける。
少数派として敗北し、連敗を重ねても「修正」を考えもしないのである。
狂信者、憑きもの憑き、至高のバカ・・・
その価値観が結果的に悪政を存続させることになっている。
本当に阿呆としか思えない。