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(回答先: 守る対象(こだわり)があるから頑張れるのではないでしょうか? 投稿者 piyopiyo 日時 2007 年 2 月 28 日 00:25:46)
piyopiyoさん,
レスありがとうございます。
私の文章が稚拙なのもあり、説明が足りず、大変申し訳なかったです。しかし、私は決して
>俗世に疲れ、地位や名誉、カネや家族など全てを捨てて寺に入ることもいいでしょう。
という事を言いたいのではありません。俗世の中でこそ「生きがい」を持って生きぬいてゆく事に意味があると思います。今の時代は出家して坊主になる方がよっぽど楽な行き方だと思います。
「生きがい」を持つ事は、決して「俗世に疲れたもの」では出来ない事ではないでしょうか?
また家族を守るという事は、これは当たり前に為すべき「責任」に当たると思います。
私には息子が2人おりますが、私の中では、「自分の行き方を子供に晒す事で、仮に反面教師になったとしても、何かを感じとってくれたらそれで良い」と思っています。
魯迅言う所の「次世代の為の肥し」にでもなれれば、幸いではないでしょうか?お金や家を残すよりも、よほど家族や子供たちへの贈り物として「親父の生き様」を見せた方が、本当の意味で「守る」事になる様な気がします。
>家にはかけがえのない家族があり、カネに換えがたいかけがえのない財物があります。職場にも大切と思える仲間がいて、そんな人たちに迷惑をかけてはいけない。また時に命をかけても守っていかなければならないと思うことがこだわり・・・
「家族を守りたい」「仲間に迷惑をかけたくない」というのは、「信念」や「志」のこだわりであり、決して「我欲」からのこだわりではありません。
私が言う「こだわり」とは、世間体や、見栄や我欲から来る「〜でなければいけない」「〜しかできない」という自我がつくり出す心の牢屋の事なのです。
そして、ここまで思えるのであれば、piyopiyoさんはすでに報われている人生だと私は思います。
頑張れば報われるのだろうか・・・この答えは既に出ているのでは無いでしょうか。
「命を掛けても守るべき家族、仲間、金にかえがたいかけがえのない財物」はそれだけで報われている人生だと思います。