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(回答先: 国旗・国歌への起立・斉唱を行事として受容してしまうことの恐ろしさ(メルさんへの返答) 投稿者 heart 日時 2007 年 2 月 26 日 02:24:15)
heartさん、こんにちは。
>>国歌斉唱を嫌う人間が多いなら何故、オリンピックの時だけ国歌を聴きたいとか、その時だけ日本人したがるんでしょう? ソレは、無意識に日本に生まれた事を誇りに思って日本人に生まれた自分を愛しているからじゃないんですか?
>君が代斉唱に反対している人は、オリンピックの時も国歌を聴きたくないと思います。また、君が代斉唱に反対しているからといって、自分が日本人でありたくないと思っているわけではありません。むしろ、日本人であることを意識するがゆえの反対だと言ってもいいくらいだと思います。
如何にスポーツ観戦が好きな私であっても国歌斉唱のときには耳を塞いでみたり、その間だけはテレビ局を換えたりしています。ある人にとって国歌斉唱は自分が日本人であることの再確認の意味合いもあることを否定でき得ないと想われますが、私にとっては歌詞が持つ意味と現実との間にあるリアルな違和感が払拭できないどころか、益々強くなるばかりなのです。もし、何かしら自分が来たところを感じられるような歌ならば、挙って歌うことがあってもよいのではと考えていますし、それには今のところ『故郷(ふるさと)』しか浮かんで来ません。
歴史学者の故網野善彦氏によれば「日本」を“ニッポン”と発音するとき、それは「日の君の」もしくは「天皇の」と同義です。けれども、私は日本人(ニッポンジン)であることを意識するが故ではなく、正確には広く世界に認めれる日本人(ニホンジン)でありたいがために、旧来の日本人(ニッポンジン)であるべく強要するような「君が代」を受け容れることができないのです。そして、何が日本人(ニホンジン)を規定するかは国家が決めるのではなく、ある一つの場やある時代状況を共にする人達の間で検討がなされ承認がなされるべきものだと考えています。こう捉えることは別段左翼の特徴でも何でもなく、人間の思考にありがちで極自然な傾向であると思っています。しかしながら、殊更に日本(ニッポン)や日本人(ニッポンジン)が強調され喧伝される昨今の風潮には少なからざるキナ臭いものを感じています。
また、会いましょう。