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以下、私がブログで書いたものの転載です。
なお、表題はかなり適当につけておりますのであまり拘らないでください。
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「日の丸問題は、将来の日本国民を日本国家カルト集団に育て上げ、戦死させたいか否かという問題。」
というエントリーに対し、先日、メルさんという方がコメントくださいました。
ここでは、メルさんのご意見に対し、私なりの考え方を述べてみたいと思います。
この次のエントリー「日の丸とは何か【東京民報社説(1948年9月)】」と併せてお読みください。
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>自分の小中学生の頃は入学式や卒業式、あらゆる式典にはこの2つが付いてまわる事は当然だと思っていました(勿論 起立もしました)
私もです。
君が代が天皇賛美の歌(→「「君が代」の歌詞の意味、わかっていて直立不動・斉唱してますか?【ざつぶん】」)だと母に小学校高学年の頃に聞き、変なの、とは思ったのですが、その後も何も考えずに歌っていましたし。
しかし、高校の時だったか、起立しない生徒がいました。
当時は、「立たなあかんのになんで立たないんやろう」と疑問に思いました。
(関連:「「独裁者」の命令によりロボット集団が織り成す「秩序」」)
が、今から思うと、当時はホントに無知だったんだなあと思います。
疑問に思わずに何かをさせられるというのは、物を考える力を身につけることが「仕事」である教育現場において、最も非教育的なのではないかと今は思います。
>両親もこの事について別に愛国心云々を語る事もなく、だから何故今になって国旗を嫌ったり国歌を歌わなくさせているのかわかりません。
事実関係を逆に捉えていらっしゃると思います。
今学校現場で起きているのは、国旗に忠誠を誓わせたり(起立という行為)、国歌を歌うよう強制するという事態であり、それは国家により主導されているものです。
また、強制に反対している教師たちは、何も最近急に国旗を問題視したりし始めたわけではなく、戦後ずっと反対しています。日教組が「運動」的に関わっていた時期も長くあったようですが、日教組は1995年にその「運動」から正式に撤退宣言をしています(そして1995年時点では既に「運動」は少数の独立組合か個人レベルのみに縮小していた)。
君が代に関しては、その音量をはかろうとしたり、生徒や教師が歌っているかを監視して回るというようなことさえ起きています。
異常なのは強制している側なのです。
◆
日の丸、君が代は第二次世界大戦で国民の意識を天皇の下に統合するための装置として利用されています。
スポーツにしてもそうだと思いますが、団体で闘う時、やはり一致団結して闘えるかどうかが勝負の成否を握ると思います。
その、一致団結の装置として、何らかの象徴、シンボルというのは非常に役に立つわけです。
視覚的にも、全員がある一つのシンボル(旗)に対し注目するということは、意識の統合につながることがおわかりいただけるかと思います。
一つの歌(君が代;それも、天皇賛歌)を皆で一緒に歌うということが、一緒に歌っている皆との意識の統合、そして気持ちの高揚にもつながります。
◆
一つのものに意識を集中させるという効果もあります。
これは、裏を返せば、他のことに意識を向けさせないという効果も持ちます。
恋愛にたとえるとわかりやすいかもしれません。
誰か一人の人に夢中になっているとき、他の人のことは邪険にしがちですよね?
その人のことしか見えない。
そんな時、その人が、あいつは俺の邪魔ばかりする、あいつを殺してくれ、と頼んだとする。
正常な意識の時であれば、ハッとして、目が覚めるでしょう。
その人のためを思って、そんなことを考えてはいけない、してはいけない、と言うかもしれませんし(←本来の愛国心に対応)、あるいはその人から黙って離れることを選ぶかもしれない(←放置・・・社会的義務からの逃避、怠慢)。
しかし、その人は絶対の存在だと誰かから洗脳されていたら?あるいは、洗脳されていなくとも、本気で絶対の存在だと信じ込んでしまっていたら?そして、その人の言うとおりにすることは、その人のためになり、さらには何らかの大義に叶うものなのだと、どこかの邪教みたいに教え込まれていたら?
その人のためになることなら、また、大義に叶うことなら、と、人殺しだってしてしまうかもしれません。そして、その際に、他の人が巻き添えをくらって不幸になろうとも、意に介さないかもしれません。これはいわゆる「盲目の愛」、というやつですが、盲目であること、盲目にさせられることによって、人は何をするかわからないということです。
同様に、シンボルに対し集団で起立・斉唱するという行為は、そのシンボルに対し意識を集中させる行為であり、人を盲目にさせる効果を持つと私は考えます。
崇拝もしくは忠誠を誓う対象として意識させられれば余計にそうです。
国旗・国歌の場合、それが象徴するのは、国家権力です。
そして、何に対し「邪険」になってしまうかと言えば、他国民であり、また、集団内部つまり他の日本人に対してもだと思います。
つまり、盲目的な権力への献身、その結果としての、他国に対する排外主義、自国内の悪政(権力者の為すこと)への盲目的追随、自国内の悪政の被害者への無関心につながると考えます。
◆
表立った強制というようなこともない中、何も考えずに起立・斉唱してきたメルさんや私のような世代には、確かに危険性は感じにくいと思います。
しかし、危険性を感じないということは、さらなる危険性を生みます。
なぜなら、警戒心を持つことなく、シンボルによる意識統合の儀式を受け入れてきてしまっているということであり、今後、国家が、「挙国一致体制」で何かをするとか言い出して、その時に日の丸・君が代を殊更持ち出し始めた時に、特に違和感もなくそれを受け入れてしまうだろうと思うからです。
そして今、その、「日の丸・君が代を殊更持ち出す」ということが、まさに、行われています。正確に言うと、教育基本法改悪という「国を愛する態度」の養成が規定された法律の誕生により、「殊更持ち出す」という行為の極限に今近づきつつあります。
◆
というのも、実は文部省は1950年から、日の丸・君が代のことを持ち出しているのです。
「『文化の日』その他国民の祝日」に催される学校の行事で「国旗を掲揚し、国歌を斉唱することもまた望ましいことと考えます」、
とか、
各官庁、各家庭において「国旗を掲揚し、祝意をしめされるようおすすめします」、
といった内容の通達を、当時の天野文相が出しています。
1958年には、学習指導要領に「国民の祝日などにおいて儀式などを行う場合には、児童に対してこれらの祝日などの意義を理解させるとともに、国旗を掲揚し、君が代をせい唱させることが望ましい。」との記述が出現します。
そして、
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「日の丸」「君が代」処分事例集(要旨)
http://osaka.cool.ne.jp/kohoken/lib/khk194a2.htm
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に見られるように、日の丸・君が代をめぐっては、遅くとも1963年には、行政による現場への強制が行われ始めています。
しかし、学習指導要領だけでは、現場の教師らや、保護者らの抵抗があり、日の丸・君が代の浸透が十分にいかなかった。
そこで、1999年に、国旗・国歌法が制定されます。
この法律はとてもシンプルなもので、「国旗は、日章旗とする。」だとか、「国歌は、君が代とする。」 とか、旗の形とかを書いてあるだけなのですが、この法律が、国旗掲揚・国歌斉唱を定めた学習指導要領の強力な後押しとなってしまっています。そしてこれは政府が意図的にそうしたものでもあります。つまり、日の丸・君が代について、学習指導要領よりも上位の法で規定しなければ日の丸・君が代への抵抗を止められない。抵抗を封じ込めるための法制化だったのです。
もっとも、強制はしないとの国会答弁はありました。しかし、国会答弁などに法的拘束力はなく、文部省、自民党(特に保守系)、教育委員会が現場での強制を先導するような事態になっています。
◆
>戦争についても、平和を望みこそすれ、
>戦いや争いを推奨し、子供に愛国心を強制して闘争意識を駆りたてる教師や大人は少ないと思うんですが・・・
憲法九条のなし崩し的改悪(解釈改憲)、有事法制の整備、イラクへの派兵、防衛庁の省への昇格とそれに伴う自衛隊の海外派遣の本来任務化、ミサイル入手、などなど、戦争の準備、それも、アメリカの大義なき戦争(もっとも、どんな戦争も大義などないと思いますが)を支援するための準備は着々と進んでいます。
戦いや争いを推奨する大人は確かに少ないでしょう。
誰も戦地に行きたくはないのですから。
戦いを推奨するのは、自分や自分の親族は戦争に行かずに済む、政府・権力者であり、確かに人数的には少ないです。
しかし、権力者の権力は、多数の国民よりも強いのです。
国民が、政府の動きに敏感になり、悪政をやめさせるべく投票行動を変えるなどしなければ、権力者の戦争できる国作り(人によっては「普通の国」づくりと言います)を止めることはできません。
日の丸・君が代にしても、それが持つシンボルへの意識の統合効果、「盲目」効果を考えれば、それも、日の丸・君が代への起立・斉唱を拒む者の思想・良心・言論・表現の自由を奪ってまでの強制という実態を考えれば、やはりこれは危機感を持って阻止しなければならない事態だと思うのです。そしてまたそれは立憲民主主義国の国民にとっての義務でもあると思います。
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国民の憲法上の義務は国家の監視;国家が国民の自由・権利を侵害しないよう、「不断の努力」(日の君強制問題に絡めて)
http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10022132296.html
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思想・良心・言論・表現の自由の侵害という行為を、日の丸・君が代問題で許してしまったら、他のことに対しても侵害が始まるもしくは強まるであろうことは目に見えています。
政府は、既成事実を作って後追いで法律を作ったり、なし崩し的に法律を事実上改悪していくことが得意のようですから、一事が万事と考えて対処しなければならないと思います。
◆
ましてや、日の丸・君が代の強制は学校現場で行われていることです。
生徒の間でも、起立しない子に対する詰問が行われるということもあるようですし(→「日の丸・君が代強制で教育現場では差別と恫喝が発生」)、東京などで起きていることはまさに、行政による教師いじめです。
ある学校では、生徒が、卒業式の答辞で、「これ以上先生をいじめないでください」と挨拶した、という話があるくらいです(その後校長は激怒、卒業後の祝賀会でも生徒を怒鳴りつけたとか)。
そしてなによりも、未来を担う子供たちが、上の命令に対しては疑問を抱いたり反対したりせず、おとなしく従わなければならないという意識を植え付けられるということの持つ、日本の未来の破壊効果というものも考えなければならないでしょう。
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□天性の奴隷
http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10024036731.html
□批判精神のない学生たち
http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10023671896.html
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権力者に唯々諾々として従うだけの「臣民」もしくは「愚民」は、権力者にとってのパラダイスは作るかもしれませんが、国民にとっては地獄しか生み出しません。
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□マスゴミ、無関心・非情な「愚民」、そして、悪法を通す政治屋。このトリオが悪政を作り出す
http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10023349008.html
□不感症、非情な人間はいかにして作り出されるか
http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10023874464.html
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批判精神そしてそれによる創意工夫なくして、よりよい社会の構築など不可能です。
また、戦争に関しては、軍需産業そして、戦争の混乱に乗じて儲ける国際金融家が絡んでおり、またそれらと結託した政府という問題があり、平和の尊さを論じるだけでは解決し得ないものがあると思っています。
◆
>また、その考えを子供に意識付けようとして騒いでいる周りも?と思いますが。
無意識は無知につながります。
無知は、最悪の場合戦争を呼び起こします。
戦争にまでいかなくとも、言論統制といった、国民生活の窮屈さを生み出します。
言論統制の究極の形が戦時の治安維持法であり、政府が成立を目指している共謀罪です。
言論統制が行われれば、悪政を批判できなくなります。
悪政を批判できなくなれば、政府はやりたい放題です。
選挙で皆でそんな政権は転覆させればよいではないかと思われるかもしれませんが、言論統制によってメディアが政府批判をやめれば、国民は、メディアの政府追随姿勢が国民の世論なのだと勘違いします。
沈黙の螺旋とか呼ばれている、日本の9.11衆院選で見られたものですが、これが生じることになります。
よりよい社会を作るためには、正しい情報が得られる状況が必要です。
考える材料が必要です。
そのためには、自由な言論が保障されていなければなりませんし、思想・良心の自由ももちろん保障されていなければなりません。
問題を意識しないことで、その問題が消えてなくなるのならいいのですが、
日の丸・君が代問題は、意識しなかったら気付いたら国民全員の洗脳装置に化けてしまっている恐れがあるのであり、意識しなければならない問題だと思います。
◆
>国歌斉唱を嫌う人間が多いなら何故、オリンピックの時だけ国歌を聴きたいとか、その時だけ日本人したがるんでしょう?
>ソレは、無意識に日本に生まれた事を誇りに思って日本人に生まれた自分を愛しているからじゃないんですか?
君が代斉唱に反対している人は、オリンピックの時も国歌を聴きたくないと思います。
また、君が代斉唱に反対しているからといって、自分が日本人でありたくないと思っているわけではありません。むしろ、日本人であることを意識するがゆえの反対だと言ってもいいくらいだと思います。
>国歌斉唱だって、国旗掲揚だって今の時代お国の為だとか昔のような気持ちで唄っている子供はほとんどいないと思いますよ?
>寧ろ、平和を望んでいる子の方が多いと思うので
>周りが騒いで、闘争心とか愛国心とか何も知らない純粋無垢な子供の気持ちを掻きまわすような発言は政治家の皆様、どうかと思いますよ。
先の文章でわかっていただけたかと。
◆
>愛国心を強制する、云々と言うよりも
>一連の行事として今まで通り流れで行ってもいいんじゃないかと、私は感じます。
行事、儀式として取り入れられてそれが普通になってしまうことが逆に恐ろしいと思います。
最低限でも、日の君への起立・斉唱を拒む人たちにはその自由を認めるべきです。
でなければファシズムです。
◆
>国歌を歌わなくなったら『国』である意味がないじゃないですか?
国歌がなければ国は存在し得ないのでしょうか?
国はそれを支える国民があれば十分です(国家主義的な意味でなく)。
歌がなければ成り立たない国などもろすぎでしょう。
>アメリカでも、オリンピックや何かの行事事では、胸に手を当てて目を閉じて歌っていますよね?
>ああいう行為が出来るのは自分の国が好きだからじゃないですか?
>もし、日本人が国歌を歌わなくなったらオリンピックでメダルを獲得した時、いったい何を歌えばいいんでしょうか?戦いの心を煽る云々の前に
自分の国が好きだからこそ、君が代は歌えないと思います。
天皇賛美の歌であり、身分制度礼賛の歌だからです。
「互いの違いを認め合い、尊重し合い、皆で助け合って生きていこう、自然を大切にしよう、人間は経済よりも大切だ」とかいう歌詞の歌なら、喜んで歌うと思いますが。
しかしいずれにしろ、物に酔いすぎるのはよくないと思います。
特に、国歌のような、自国への陶酔そしてそれによる他国蔑視につながる恐れのあるものについては。
また、他国でも、少なくとも学校において国旗・国歌が強制されるということは、ほとんどない、もしくは、違憲とされています↓
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<国旗掲揚、国歌斉唱>諸外国と比べても相当遅れている、安倍、石原らの自由に関する感覚。
http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10020600344.html
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>シンボルはシンボルとして素直に受け入れるべきじゃないかと?シンボルが無くなったら『国』では無くなってしまってぶっちゃけ私達はジャパニーズでもなくなってしまいます。悲しい事ですよ´`
シンボルがなかったら国でなくなるというようなことはないと思います。
例えば私は日本人意識がこれでもかなり強い方です。
ブログのタイトルや、ブログのタイトルの下の小さな文字の中にある「日本を愛せる国にしよう!」とかいう言葉でもわかっていただけるかと思いますが。
シンボルなどなくても、心でつながることができると思います。
そして、心でつながることができた時こそ、日本人は一体になれるのではないでしょうか。
そして、最高なのは、世界中の人たちと心でつながることです。
そこではシンボルという排除機能(「日の丸問題は、将来の日本国民を日本国家カルト集団に育て上げ、戦死させたいか否かという問題。」で書いた、日の丸の持つ三番目の効果)はむしろ邪魔です。
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>貴女のプロフの一言
>『国家・組織の秩序維持の名目のもと国民が息苦しくなる「美しい国」でなく、人と自然の多様性が大切にされるほんわかとした「美しい地球」を作りたい。地域コミュニティの輪の再生と、人工的になりすぎた人の生活を生態系に返すこと、この二つが私の現時点での長期目標です。 』
>この文に大きく共感いたしました。
ありがとうございます。
共感いただけて嬉しいです。
>それから。。。1つ質問が・・・
>heartさんは皇族の新年恒例の『一般参賀』をどのように思われますか?
正直言って、天皇には関心ありません。
なんであんなに天皇に熱狂するのか全く理解できません。
無数の日の丸が打ち振られている光景を見て、異常だ、戦前か?、とか思うだけです。
また、動員か?という邪推もしています。
2005年の衆院選の時に小泉とかの自民党候補に群がる女性は創価学会の動員という話もありますし。
創価ならそういうことをしかねないです。
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沖縄知事選;自民・公明の候補の勝因は、組織ぐるみの不正?!【阿修羅】
http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10020312475.html
創価学会員の違法な集票活動の実態!【遊牧民のメディア棒読み!】
http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10020148044.html
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>前コメントに際しましては、不快に思われたら申し訳ありません。
>あくまで1意見として書かせていただきました。
ご意見、ありがとうございました。
おかげさまで少しは自分の頭の中も整理できたと思います。
お返事が随分遅くなってしまい申し訳ありませんでした。