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(回答先: 平等、博愛というのは追求すべき対象であって存在、不存在の問題とは違うように思います。 投稿者 heart 日時 2007 年 2 月 06 日 20:33:33)
初哲学者さん、haruさん、はじめまして。横レス失礼します。
heart さん、こんにちは。
皆さんのレスを読みながら、いまだに「自問自答」している「私のポリシー」を思い返しています。
「自由、平等、博愛」とは、「カテゴリー」が違うかもしれませんが。・・・
「理想と現実」について
「理想」の反対語は、と問われれば「現実」と答えると思います。
「辞典」で調べれば、たぶん(確認していない)そう書いてあると思います。
むかし、何かの試験でこの問題が出ました。「理想の反対語を書け」
私は、「答」を書くのにかなり悩みました。
私は、「決心」して「空想」と書きました。「不正解」を覚悟して。
私は、「国語的」「一般的」には、「現実」が正解だとは思っていました。
なぜ、間違いを判っていながらそう書いたのか。
その頃(今でも)、何かの「問題」について、「雑談」「議論」「世間話」
等など、いろんな時によく言われた言葉。
「言うことは、解る、しかし、それは理想だ、現実はそう甘いものじゃない」
私は、この言葉を聴く度に、何か割り切れぬ「理不尽」な思いをしていました。
多くの人が「理想」だと認めているではないか。
「現実」が「理想」と違うというのならば、多くの人が認めている「理想」を実現すればいい。
「現実」は、不変のものなのだろうか。「理想」は実現不可能なのだろか。
人間は、「有史」以来、多くの理想を実現してきたではないか。
確かに、人は皆、多かれ少なかれ、「理想」に反した、現在の「利害関係」や「立場」を持っているのだろう。だから、「理想」を認めたくないのだろう。
しかし、だからこそ、なお、現在の「利害関係」乗り越えて、「未来」の人々の為にも、「現実の理想」を実現して、引き継がなければならないのではないのだろうか。
「理想」を「現実」に対置し、遠い未来に押しやるのではなく、「理想」は「実現」出来る「現実」のものとして捉える必要があるのではないかと思う。
私は、今でもこう思っている。
「理想」は、「実現」可能な、「理に適った想い」。故に「現実」の延長線上にあり、「理想」と「現実」は、「反対」の立場には立たない。
「空想」とは、非科学的で実現不可能な想い。(ただし、科学の発展により実現可能な「理想」に、発展する可能性を否定するものではない)
「存在が意識を規定する」「科学が未来を理想する」「行動(努力)が理想を実現する」
と、私は想う。
それでは、みなさん、またの機会に・・・・