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(回答先: なにゆゑに田中角榮は總理大臣と成つたのか。サクラメンテの怪會談と云ふ謎 投稿者 石工の都仙臺市 日時 2007 年 1 月 31 日 00:51:59)
書店で平積みされた文春に連なる民族主義者・台湾独立派は、中国人のがめつさ、性格の悪さ、嘘つきぶりは叩いて見せる。確かに日本人が中国に行くと、信号無視は当たり前の日本人とは根本的に違う中国人のマナーの悪さと商魂逞しい押し売り精神は感じる。
しかし、中国批判本に欠けているのは日中国交回復から反日暴動までに何があったかである。ここが右翼本には非常に疎かになっていて、「中国は四千年前から悪人の国だった」という事で片付けている。しかし、中国の近代史には日本と欧米の商社・金融・多国籍企業の利権争いという視点はどうしても不可欠だ。右翼民族主義の大半は、ただ単に「反日中韓許すな。特定アジアと対抗せよ」というだけで米国ユダヤの対中政策を語ろうとしない。何故かこの要素が欠落したまま中韓朝の反日ぶりに怒ってみせるのである。
しかし、中国の歴史が何千年続こうが、日本人にとっては1972年田中訪中から2004年反日暴動に至るまでの32年間の政治・経済の過程こそが最も重要なのであって、黄河文明から現在まで中国には同質の悪質さがあるかのような言い回しでは、かえって現在の政治・経済の問題点がぼやけて分からなくなってくるだろう。書店で平積みされた中国批判本の狙いは、ひょっとしてそこにあるのではないか?
奈良時代や平安時代、鎌倉時代の日中関係に学ぶものがあったとしても、一番重要なのは昭和時代のはずだ。多国籍企業や金融、商社、軍需産業、IT産業の動向を無視した中国批判は暇つぶしになっても、現実変革にはつながらないだろう。単にあるがままの中国素描にとどまらず、90年代末から石原慎太郎や西村慎吾、麻生太郎のような人物が台頭してきた政治・経済の背景を考える事が大事だと思う。