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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu158.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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拝金主義の台頭,組織の硬直化,密告社会という三つの現象は、
「成果主義」が導入された結果として、「偽」の大量生産に結びついた。
2007年12月30日 日曜日
◆成果主義の弊害と弊害と弊害 12月27日 日経BP
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20071227/144782/?P=1
「富めば嫉視され、貧しければ蔑視される。力があれば憎まれ、力がなければしいたげられる。君主への忠誠がかならずしも正義でないことを、他国の歴史がおしえている…そういう時代なのである」
ある小説を読んでいて、この一節で目が止まった。「そういう時代」とは、中国の春秋戦国時代のこと。けれど、「君主」や「他国」の部分を「会社」や「他社」に置き換えれば、そのまま今日の状況を言っているに等しい。そう思えたのである。
一言で言えば、疑心暗鬼。その鬼は、疑われる者、疑う者の両方の心の中に棲んでいる。だから、不正やウソが次々に暴かれる。鬼は、暴かれる側、暴く側両方の心の中に棲んでいる。だから、そのネタは尽きることなく、非難の声も衰えることがない。そんなことを痛感させられた1年だった。誰にも頼まれていないけど、一丁前に今年を総括してみればそんなところか。毎年末に京都の清水寺で書かれる「今年の世相を表す漢字」も「偽」だったことだし。
「偽」の源
年金問題などという大掛かりなものまであったが、何といっても目立ったのは「白い恋人」「赤福」などなど山のように起きた偽装問題である。その背景には、「食の安全」への関心の高まりなどという要因もあっただろう。ネットの世界では珍しくない「吊るし上げ」がマスメディアの世界に普及したことも一因、という見方もある。おっしゃる通りだが、やはり根底にあるのは「拝金主義の台頭」「組織の硬直化」といったことではないかと思うのである。
そして、もう一つ。「密告社会の出現」だ。今年槍玉に上がった事件の多くは、お役所や警察の調査などで明らかになったわけではなく、密告、つまりは内部告発によって露見しているのである。社長が「社員は会社に対する忠誠心を持っているもの」とか勘違いして「トカゲの尻尾きり」を試みたものの社員の逆襲にあって大炎上、などという事件もあった。
ちなみに拝金主義の台頭,組織の硬直化,密告社会という三つの「現象」は、その発生要因の探求を含め長らく私の「思索ネタ」になっていたものである。偽装ではなく、ここ10年くらいの間に蔓延した成果主義というものについて考え、その結果として行き着くものとして目星をつけていたのが、まったく同じくこの三つだった。この一致は偶然なのか必然なのか。もし必然なのであれば、日本で成果主義が広く導入された結果として、多くの人たちの意識が変化し、それが回りまわって「偽」の大量生産と大量発覚に結びついたことになる。ああおそろしい…。
なぜうまくいかないか
で、本題の成果主義である。その定義を明確にすべく調べてみると、類語は「結果主義」で、対する用語としては「職能主義」「過程主義」「努力主義」「能力主義」「実力主義」などがあるらしい。 日本では成果主義を能力主義と同義に扱う傾向があるが、能力主義は結果に結びつかない潜在能力をも評価対象にするが成果主義はその点を省みないので、本来は全く異なるものなのだという。
その制度が多くの日本の企業で採用されたわけだが、うまく機能しているという話はあまり聞かない。つい先日も弊社の『NB online』に「このままでは成果主義で会社がつぶれる」という記事が掲載されていた。アンケートで成果主義の導入が「意欲を低めている」と答えた人は「高めている」と答えた人の2倍以上で、目標達成度(成果)を評価されることが、成長に「結びついていない」と思う人が約6割を占めたのだという。
この調査結果のように、モチベーションの高揚を目的に導入した制度がその逆の効果を発揮しているとしたら、とんだ悲劇である。しかも、問題はそれだけではない。メディアで紹介される意見や実例を拾い読みするだけでも、導入当初はあまり想像していなかった、多くの弊害があるらしいことがわかる。
出世が「なくなる」?
その一つが、「拝金主義の台頭」というものである。「成果」としてアピールしやすいのは数字。何といっても一番効くのが「私が提案したこの事業で、××円を売り上げた」「もろもろの努力によって計画比120%の利益を達成した」といった金額だろう。それを言いたいから、みな短期的に儲かることをやりたがる。利益を積み増すためにコストを切り詰め、その弊害には目をつぶる。
その結果として、「手間がかかるけど成果にならない」「成果は出るけどみえにくい」といった類の仕事は、誰もやらなくなってしまう。その代表例が他部門などへの支援活動であり、若手の教育である。確かに「すげー教育してあいつを一人前にした。今やすごい戦力になっているけど、それは私の努力の結果」とか上司にアピールしても、「はいはいご苦労さん。今期は言うべき成果が何もないわけね」と思われるのが関の山だろう。
次に、「組織の硬直化」。一昔前まで、上司は仕事上の指揮者であった。だから「仕事上で意見が対立し上司と大激論」などということもできただろう。ところが今は、指揮者でありかつ評価者、つまりは自分の給料を決める人なのである。そもそもこの両機能は独立したものであるはずなのだが、実際はそううまくはいかない。評価者の反感を買えば給料が安くなるかもしれない。だから逆らわない。その結果、上司の仕事上の判断を部下がチェックするという機能が損なわれる。
当然、それを覚悟で文句を言う部下もいるだろう。そのような人でも昔なら、「あいつの態度は気に入らないけど順番だからやらせるか」と、管理職にもなれたかもしれない。けれど、選ばれた人しか上に昇れない仕組みは、反骨精神あふれる人材には生きにくい制度となるだろう。昔は「上司に逆らうと出世が遅れる」と言われた。今は「出世がなくなる」のである。
お前なんか絶対に合格せんぞ
経営をテーマに取材を続けておられるジャーナリストのルーシー・クラフト氏(関連記事)は、こう話しておられた。「企業が失敗するケースの多くはリーダーのせい。逆に成功したケースをみると、実はリーダーではなくフォロワー(部下)が欠かせない役割を果たしている。つまり、企業が失敗せず成功するために必要なのは、上司が間違ったときに指摘できるフォロワーの存在なのです」。それを妨げるのが、特定ポストへの権限の集中と、それによって引き起こされる「イエスマンの増殖」なのか。
そういえば昔、こんな話をどこかで読んだことがある。作家の藤本義一氏が若いころ、あるラジオ番組でゲストに故・松下幸之助氏を呼んだことがあったらしい。その番組内で藤本氏は「メーカーが次々に新製品を出して買い替えさせようするものだから消費者は大変迷惑している」などと、持ち前の毒舌をもって家電批判を繰り広げた。そう言われた幸之助氏は、真っ赤になって怒った。けど、適当な反論ネタが思い当たらない。結局、「何だ、そんな長い髪をして(当時藤本氏は長髪だったらしい)。お前なんかウチの入社試験を受けに来ても絶対に合格せんぞ」などと、見当違いな個人批判を藤本氏に浴びせた。ふとスタジオの外を見ると、幸之助氏の「取り巻き幹部」のような人たちが、親の仇でも見つけたような恐い顔をして藤本氏を睨んでいたという。
この話には後日談がある。タクシーに乗っていると、運転手にこう話しかけられた。「藤本義一さんですよね。先日松下幸之助さんをお乗せしたのですが、ずいぶん褒めておられましたよ」。「冗談でしょ」と言ったけど、どうも本当らしい。「いやね、えらく気骨のある方だとベタ褒めでした。けどね、自分の周りにはそんな人が誰もいなくなったと、それは嘆いておられましたよ」。さすがに幸之助氏くらいになると、まっすぐに意見できる人は周囲にただの一人もいなくなるらしい。けど、そういうことに自ら気付いて、嘆くなどということは、誰にでもできることではないだろう。
そして最後は、「密告社会の出現」である。さる企業の人事担当者に聞いた話によれば、人というのは程度の差こそあれ、自身の評価には甘く、他人の評価は辛くなりがちな存在で、極めて公正な評価をしたとしても多くの人が「不当に低い評価を受けた」と感じるのだという。さらに、あるエコノミストの方に教わった行動経済学の原則によれば、人は「損をした」ときに「得をした」ときの3倍大きい精神的ショックを受けるという。
論理から導かれる結論
これを信じるなら、成果主義を導入すれば原理上、高揚感を感じる人より心を傷付けられる人の方が多く、かつその感情の総和は圧倒的に後者の方が大きい、ということになる。この法則が実際のものになっているためか、多くの方が「成果主義の導入によって、全体としてはモチベーションの低下が目立つようになり、かつ会社への忠誠心が著しく低下した」と指摘しておられるようだ。
もう一つ問題がある。成果主義の導入に歩調を合わせるように、多くの企業が派遣社員や契約社員などの、いわゆる正社員以外の労働力を大いに活用するようになったことだ。正社員を階層化し、さらに正社員の下に新たな階層を設けるということか。何だか、狡猾な徳川幕府の身分制度に似てなくもない。
この結果として、「社の実情は十分把握しているが、社への忠誠心などというものは持ち合わせていない」という従業員が社内を闊歩することになった。もちろん、このことは一概に弊害とはいえない。ある面をみれば、企業の透明性が増すキッカケにもなるからだ。けれども逆に、この反動として報復や威嚇の常態化、従業員に対する管理や監視の強化、企業上層部の情報の囲い込みが進む可能性もあるだろう。とても危険な香りがする。
このほかにも多くの弊害が、実に多くの人たちの口から語られている。そして結論はというと、多くの議論で「成果主義という制度自体が悪いのではない。公平な評価ができてない、透明性がないといった運用上の問題がこうした弊害を生むのだ」というところに落ちていく。それも真実なのかもしれない。けれど、ここに挙げた三つの弊害は、いくら評価を公正にしたところで解消しないのではないかとも思うのである。
(後略)
(私のコメント)
成果主義が企業にとっていい事なのか悪い事なのかの判定がつくのは、結局は結果が出てみないと分からない事なんだろうか? 企業の経営者は成果主義が企業にどのような悪い結果をもたらすか現実の問題となって降りかかるまで成果主義を推し進めているように思える。
成果主義は企業経営者にとっては魅力的な経営方法に思える。企業業績が低迷している現状において手っ取り早く業績を回復させるには人件費を削る事だ。アメリカではリストラをすると株価が上がる。だから業績が好調な企業でもリストラを進めている。ここで言うリストラとは配置転換などではなく実質的な首切りだ。
だから即効薬としては成果主義は画期的な経営手法なのですが、長期的に見てアメリカ経済はそれで上手く行っているのだろうか? 製造業は空洞化して安い人件費を求めて外国に移転してしまった。最近ではホワイトカラーの仕事もインドなどの英語圏の外国にアウトソーシングしている。だから一部の経営層はますます豊かになり中産階級は下層階級に没落している。
それでもアメリカが好景気が続いているのは金融業や不動産業などのサービス業が景気を引っ張ってきたからだ。アメリカは株や不動産の値上がりが続いてみんな豊かになっているように見える。日本もバブルの頃は株も土地も値上がりしてみんな豊かになったように錯覚した。しかし株も土地も暴落して失われた15年を体験している。
日本を除く世界各国はバブル景気に沸いてきましたが、世界の主要都市の不動産賃貸料は世界一高かった東京を追い抜いている。いわば80年代の日本のバブルをアメリカをはじめとする世界が体験しているのです。いわば日本で生まれた不動産資本主義で世界は好景気が続いてきたということが出来る。
しかし日本で起きたようにバブル崩壊はいつかは起きるのであり、アメリカでバブル崩壊が起きたときに真のアメリカの経済力が問われる時が来るだろう。アメリカの空洞化した経済はIT産業や農業や軍需産業などを除いて国を支える産業が無い。成果主義を突き詰めていけば国によって保護された産業を除いてみんな人件費の安い国に行ってしまう。
このままでは日本もアメリカの後追って産業は空洞化していくだろう。そして成果主義は日本人の労働賃金を低下させていく。ソニーはかつては高給エレクトロニクス製品のメーカーでしたが、今では普通の電気製品の会社になってしまった。それは1995年に取り入れられた成果主義が原因なのだ。
◆ソニー元上席常務天外司朗「成果主義がソニーを破壊した」今、進んでいる市場原理主義の道は「堕落した国」への転落 2006年12月22日 株式日記
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/e2417142a94f12131b3d74101ae81efb
<文芸春秋の新年号でソニーの元常務が「成果主義がソニーを破壊した」という記事があるそうですが、ソニーも成果主義で富士通の二の舞を演じつつあるのだろうか? 欠陥電池騒動やプレイステーション3のもたつきなどもそれを象徴しているようだ。AV関係の製品にしても液晶パネルを韓国のサムスンから調達しているようではソニーは終わっているとしか言いようが無い。>
ソニーがウォークマンという製品を作っていた頃はソニーは世界一のAVメーカーだった。ところがアップルのipodが出て来てソニーはそれを追い越すことができなくなってしまった。本来ならばipodはソニーが作るべき製品だったのだ。ソニーはなぜ世界一のAVメーカーから転落したのか? それは成果主義が原因だとソニーの元幹部が指摘している。
会社の経営幹部は正社員の首を切ってパートや派遣社員に切り替える事で人件費を削り、国内の工場を閉鎖して中国に工場を移して製造コストを下げた。それが短期的には正しい方法だ。成果主義は結果主義であり結果を残さなければ株主から経営責任を問われるからだ。その結果不正なことをしてまでも業績を上げる事が求められた。
食品の日付の偽装が相次いで発覚したのも今年の特徴ですが、日本にも偽装とそれを告発する事が多発するようになった。成果主義が社員の士気を高める事よりも妬みと嫉妬が横行するようになり社員間の協調も取れなくなり足の引っ張り合いが横行するようになる。会社の幹部もばれたら謝罪すればいいと確信犯的に不正を行なうようになった。
成果主義の会社では「手間がかかるけど成果にならない」事や「成果が出るけど見えにくい事」は誰もやらなくなり会社の組織は確実に蝕まれて、気がついたときは会社組織はボロボロになっているのだ。会社のトップにしても間違った判断をした時にそれを指摘できる部下がいれば会社は大きな間違いはせずに済みますが、成果主義の会社はワンマン社長となり周りはイエスマンばかりの部下となりがちだ。
ソニーはテレビのディスプレイパネル開発においても失敗して韓国製の液晶パネルを使うような状況になってしまった。経営トップの判断ミスを正す人がおらず、開発の現場はすぐに成果の出るものに限られて画期的な新技術が出来なくなってしまった。その結果ソニーのテレビは松下やシャープに追い抜かれてしまった。しかし松下や日立も成果主義でソニーの二の舞いになるのではないだろうか?
◆家族・住宅手当を全廃へ ソニー、係長以下にも成果主義 2003年11月29日 人民日報
http://j.peopledaily.com.cn/2003/11/29/jp20031129_34517.html
ソニーは29日、国内の係長以下の一般社員約1万2000人に対し、来年4月から成果主義を徹底した新しい賃金制度を導入することで労使が合意したことを明らかにした。「扶養家族」や「住宅補助」の手当も全廃し、働きぶりなどの評価をほぼ全面的に給与に反映させる。電機大手で年功型賃金の廃止を決めたのは日立製作所、松下電器産業に続き3社目となる。
新制度は、給与を「基本給」に一本化し、現行の諸手当のうち存続するのは残業手当(超過勤務手当)だけとなる。社員を3段階の資格(グレード)に分け、上司の評価に基づいて基本給や昇級を決める。評価方法などについては今後詰める。
これまでの制度では、住宅と家族の手当が平均で給与の約5%を占めていた。成果主義の反映部分は小さく、係長までは全員が10年程度で昇級していた。新制度の導入後は、年齢に関係なく短期間で昇級することがある一方、昇級に時間がかかったり、降級したりすることもあるという。
ソニーはすでに、課長以上の管理職約6000人に対して00年から同様の制度を導入済みで、管理職では残業手当も廃止されている。