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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu154.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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日本をアメリカの経済奴隷にしたのは誰か。アメリカの圧力のままに、
大店舗法なるものを改悪し、商店街を潰したのは金丸、小沢です。
2007年10月31日 水曜日
◆小沢総理なんてまっぴらゴメンだ WILL 2007年9月号 石原慎太郎
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/bookstand-magazine025.html
アメリカの経済奴隷に
日本とアメリカの関係の中で、日本をアメリカの経済奴隷にしたのは誰か。金丸・小沢じゃないですか。
大都市はともかく、地方都市の商店街はほとんど潰れてしまった。そして代わりに郊外に大店舗が出来た。私は自分の選挙区での体験から、こんなものを作ったら商店街は駄目になるとわかっていたし、多くの者が反対した。アメリカの圧力のままに、大店舗法なるものを改悪し、商店街を潰したのは金丸、小沢です。
それから、やっちゃいけない日本とアメリカの対の経済構造協議というのをやった。
世界が狭くなってきて、経済先進国同士で問題が起こると世界全体に影響を及ぼすからと、みんなで合議しようということで経済先進国が集まってWTOとかOECDを作った。
しかし、アメリカは日本の経済に押されて具合が悪くなってきたので日本をとっちめてやろうと、安保条約で恩に着せて、自分達が軍備を使って日本を守ってやっているんだから言うことを聞けといって、バイラテラル(2国間)の経済構造協議をやることになった。
私達は大反対しました。案の定、アメリカは270項目の要望を突きつけてきた。中にはとんちんかんなものが随分あった。
私はそれに反対して、140項目の反対案を作った。私が主宰している黎明の会という政策研究会のメンバーには、今は自民党を離れてしまった亀井静香くんや平沼赳夫くんがいました。
そして私達がそれを発表しようと恩ったら、自民党の最高議決会の総務会が4回潰された。小沢幹事長が命じたんです。会期末だったので、そのまま国会は閉幕。仕方ないから私達は翻訳して、外人記者クラブでも発表した。アメリカは嫌がるだろうけれど、私はやりました。しかし結局、アメリカの無法な要求はいくつか通りました。
金丸のひと声で40億ドル
それをいいことにアメリカが何をやってきたか。毎年、日本はアメリカから年次改革要望書というものを突きつけられている。ああしろ、こうしろといろいろなことを言ってくる。
例えばアメリカの弁護士は水準が低く役に立たないのが多いのに、日本でも弁護士を増やせ、そしてアメリカの弁護士も日本で弁護できるようにしろと言ってきている。あるいは、金融市場をもっと開放しろとも。
金丸・小沢が牛耳っていた頃の自民党の歴代の大蔵大臣はたいした危惧も持たずに「ビッグバン」「ビッグバン」とはしゃいで金融の自由化をしました。
今どうなっているか。ヘッジファンドがどんどん出てきて、日本の会社を買い占めて売っている。ハゲタカファンドが日本で好きなことをして儲けている。こんなことを許したのは誰かといえば、小沢一郎じゃないですか。
そして1991年(平成3年)に湾岸戦争が起きた。プレディというアメリカの財務長官が日本に圧力をかけに飛んできた。アメリカにはカネがないから、日本はカネを出せと言いに来た。
当時は傀儡政権の海部政権、これは金丸と小沢が作った内閣です。金丸は海部の言うことなんか全く聞かずに、自分で人事をし、内閣を作った。海部は総理にしてもらっただけで、人事は何もできなかった。
その海部内閣の主要閣僚、外務大臣・中山太郎、大蔵大臣・橋本龍太郎、通商産業大臣・武藤嘉文、内閣官房長官・坂本三十次の4人で紀尾井町の「福田屋」という料理屋で接待したら、ブレディがいきなり40億ドル出せと言った。
4人はぶったまげて「そんなカネは急には出せない」と断った。ブレディは繰り返し3回言った後、「駄目なら俺は帰るぞ。駄目なんだな」と念を押した。
「よしわかった。これで日米関係は悪くなる。あんた方の責任だ。もう1回名前を教えろ。中山、橋本、武藤、坂本だな」。
そうしたら慌てて一人が立ち上がって「ちょっと待ってください!」。恐らく宣房長官の坂本でしょう。そう言ってある人に電話をかけた。
当然、相手は幹事長の小沢です。その後には金丸がいたろう。小沢が相談して、金丸が「それじゃあ出してやれ」となって、40億出すことになった。
刻印のない金の延べ棒が
ブレディは日本に4〜5時間しかいなかったのに40億ドルせしめて帰ってきて、ワシントンで記者会見をした。
私は日本の政治家で一人だけ外人記者クラブのメンバーなんです。年中アメリカ人の記者と喧嘩する。喧嘩すると仲良くなるので、こちらに嫌な情報も教えてくれる。その一人からブレディの情報を聞いた。けれども嘘か本当かわからない。NHKの日高義樹くんが当時ワシントンの支局にいたので、帰国した時に裏をとって聞きました。その通りだと。
記者会見で、記者が「あまり機嫌がよくないけど、日本はやっぱりカネを出しませんでしたか」と聞いた。ブレディは「出したよ」と答える。
記者が「不機嫌なのを見ると、額が少ないんですね? いくらなんですか?」と聞かれて、ブレディが「40億ドル」と言ったら、みんなぶったまげた。
日本に数時間しかいなくてそれだけのカネが取れたのなら大成功じゃないですか、と言われたブレディがニヤッと笑って「俺は2日かかると思ったんだが、アイツらちょっと脅かしたら4時間でカネを出した。だったら最初からもっとふっかければよかった」。こんなことまで言われていたんだ。
その後、さらにアメリカは90億ドルを要求してきた。さすがにこれは内閣の一存では決まりませんから、9月に臨時国会を開いて、結局、合わせて130億ドルを出してアメリカの戦争を助けた。
ところが出した直後に戦争は終ってしまった。カネをどう使ったか報告がない。日本にキックバックしたという噂があります。日本のメディアはやる能力も覇気もないから調べられない。アメリカ人の2人の記者が書きました。そのカネが誰にいったのか。想像に難くないけれど。
そして、それからすぐ小沢一郎は党を割って出て行った。
その後、1992年(平成4年)に金丸事件が起き、金丸さんは略式起訴された。警察が金丸さんの事務所に踏み込んでみると、刻印のない金の延べ棒が出てきた。金塊というのは、それを作った国の刻印が必ずあるんです。刻印のない金塊は北朝鮮です。北とどういう取り引きがあってのことか。途中で当人が亡くなってしまい真相は闇に葬られてしまった。
小沢・金丸は何をやったんですか。アメリカに約束した8年間に430兆のカネを無駄遣いして日本の経済力を弱めた。
430兆のカネを使って何をやったか。沖縄の経済需要の全くない島に5万トンのコンテナ船が着くような港ができている。市長が自慢して見に来てくれと言われたけれど、
船が来るのかと聞けばニヤニヤ笑うだけ。
北海道で熊や鹿しか出てこないようなところに道路を作った。その先に街なんかありゃしない。そういう馬鹿なことをやった。みんな国民の税金です。そのため国債も発行した。それで日本の財政はガタガタになってしまった。
いまだに670兆という厖大な国債がある。あっという間にイタリアの倍の国債依存率になってしまった。この体たらくを作ったのは誰なんですか。(中略)
小沢一郎のような人物が日本の親父になったらとんでもないことになります。
(私のコメント)
小泉構造改革というのは、小沢・金丸以来のアメリカ従属路線以来のものであり、現在の自民党と小沢一郎の路線とは同一のものだ。小沢は自民党の対米従属路線を一番よく知っているから、テロ特措法を潰して給油活動を終わらせれば福田内閣が一番困る事をよく知っている。そしてアメリカ政府が怒って福田内閣を潰してくれるだろうと読んでいる。
小沢一郎は小泉純一郎と並んでアメリカの圧力に屈してアメリカの要求を受け入れてきた。アメリカは日本の政治家には強い圧力を加えれば屈する事をよく知っている。湾岸戦争の時にも小沢一郎はブレディ財務長官の脅しに屈して130億ドルも出しましたが、その130億ドルはいったい何に使われたのでしょうか?
最近でも沖縄の海兵隊のグアム島への移転も日本が7000億円を日本が負担する。外国の軍隊の移動に日本の金がなぜ使われるのでしょうか? この事は「株式日記」でも何度も書いてきたのですが、日本の政治家はなぜアメリカに対してNOといえないのでしょうか? 小沢一郎が給油活動にNOと言っているのも野党の気楽さからでしょう。
しかし小沢民主党が政権をとれば自民党と同じくアメリカに従属した政治を行なうのです。小沢氏が自民党の幹事長時代にアメリカの要求に屈して大店法が改正されましたが、そのおかげで日本中の商店街は巨大スーパーに客を奪われて寂れてしまった。
この頃からアメリカとの経済構造協議が行なわれるようになったのですが、小泉構造改革もその流れをくむものだ。このようにして日本経済はアメリカの要求に言われるままに改悪されて、バブルを発生させて崩壊させて構造改革をしやすいようにした。石原慎太郎が言うように安保条約で恩に着せて日本経済をとっちめてやろうと圧力をかけてきた。
湾岸戦争で日本が130億ドルも供出させられたのも、日本は外国に軍隊を出せないからですが、ならば外国に軍隊を出せるようにすればいい。日本に本当の軍隊がないのだからアメリカに従属しなければならないのだから、憲法を改正して軍隊を認めれば安保条約も必要がなくなりアメリカの言いなりにならずにすむ。左翼が本当の反米なら憲法改正に賛成しなければおかしい。
だから自民党はもとより野党に至るまで親米政党であり、非武装中立と言っていた社会党は消えてしまった。1960年の安保反対闘争は今は完全に消えてしまって、その当時までは民族主義的な反米感情もあったのですが、今ではテレビが登場して日本国民はおとなしくなり洗脳されてしまった。3S政策に嵌められてしまったのだ。
防衛事務次官がゴルフ三昧で明け暮れて、利権の確保に天下りの拡大に一生懸命だ。政治家もアメリカのいうがままの政治では日本が良くなる訳はないのであり、そのおかげで日本は膨大な借金を背負う事になってしまった。
このような状況を打ち破るには国民が目覚めなければなりませんが、テレビはバラエティー番組が氾濫してマンガやゲームに時間を浪費する若者は政治に無関心だ。若者が低賃金の非正規社員でこき使われるのも政治が原因なのですが、選挙になっても若者は選挙の投票にも行かなくなってしまった。
一時はネットの活動によって若者も政治に目覚めるのではないかと思ってきましたが、いわゆるネットウヨは政治勢力には成れないようだ。安倍内閣の退陣によって保守派勢力も後退してリベラルな福田内閣が誕生した。リベラルと言えば聞こえがいいが、アメリカに対しても中国に対しても「人の嫌がることはしない」というNOとは言わない旧自民党内閣なのだ。
小泉内閣の新自由主義路線は格差問題で修正を迫られていましたが、安倍内閣は中途半端な改革路線を継承しなければならなかった。その為に小沢民主党にすきを突かれて参院選挙で大敗した。安倍内閣はもっと明確な新保守主義を目指すべきだったのだ。
◆新自由主義と新保守主義の狭間で立ち尽くした安倍ニッポン 9月18日 大豆生田 崇志
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20070913/134917/
渡辺 「新自由主義」と「新保守主義」の狭間で、立ち尽くしてしまったことが安倍首相の失敗の本質です。
安倍首相は本来、新保守主義的で、新自由主義的な構造改革にはなじみのある政治家ではありません。ところが小泉純一郎前首相の後継者として、構造改革をやると言わなければ政権を取れなかったのです。
安倍首相は小泉政権と同じ構造改革を継承して新自由主義の路線を維持すると同時に、改革の痛みを手当てとして新保守主義を打ち出すという二律背反の期待を集めて登場しました。しかし、そのいずれにも応えられなかったのです。今後誰がポスト安倍政権を担おうと、どの方向に政治を動かすのか明確にしなければならない点なのです。
渡辺 1970年代以前の経済政策といえば、福祉国家的、ケインズ主義的な政策でした。企業と高額所得者から多額の税金を集めて、教育や福祉、医療制度を通じて中流階層に所得を再分配することで、安定した「国民統合」を実現できたのです。
しかし、ケインズ主義的な政策は不況下のインフレーションを招くようになって行き詰まりました。そこで新自由主義が登場したのです。
ところが、新自由主義が広がると、今度は労働者階級の中間層が解体され、階層間の格差が拡大します。ひいては社会の分裂が避けられません。
分裂しそうな社会の統合を目指す政治潮流として登場したのが、新保守主義です。典型的なのは、英国のサッチャー政権や、米国のレーガン政権でした。新自由主義的な規制緩和や構造改革を進めると同時に、伝統的な家族や地域、学校、企業というような共同体の再建を主張し、強い国家を標榜して、国民を統合させるという意識がありました。ところが、小泉さんは新自由主義一点張りだったのです。
(私のコメント)
ネットなどを見ると新自由主義と新保守主義とがごちゃ混ぜになっている記事をよく見かける。新保守主義とはネオコンサバティブの事ですが、外交的タカ派でネオコンの事です。しかし国内的にはもともとがトロツキストが反共に転向したものであり、新自由主義とは相容れない面がある。またアメリカの新保守主義と日本の新保守主義とは同一ではない。
日本の新保守主義とは石原慎太郎氏の思想に現れていますが、外交的には反共タカ派であり、内政的には一方的な規制緩和には批判的だ。アメリカとの経済構造協議にも反対であり、大店法が改悪されなければ地方における商店街のダメージも少なくて済んだはずだ。そのような反省が安倍内閣ではなされず、小沢民主党に弱点を突かれてしまった。