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米国にも英国にも「プルデンシャル」という名の保険会社がある。プルーデント(prudent)であることが金融機関にとって最も重要な価値観とされた時代に設立されたのであろう。プルーデントを辞書で引くと、「慎重であること、用心深いこと、分別があること」と出ている。
32年前に住友銀行(現・三井住友銀行)に入った時の研修で「貸出金利が低すぎて潰れた銀行はない。銀行が潰れるのは元本が焦げた時だ」と教わった。当時プルーデンスという価値観は明確に収益性より重視されていたが、現代の銀行経営者の発言を聞いていると、もはや過去のものとなってしまったようだ。
6月に福岡で「Asia Innovation Initiative(AII)」というコンファレンスが開催され私も参加した(関連記事はこちら)。2日目の基調講演でジャーナリストの田原総一朗さんと、AIIの主催者の1人であるクオンタムリープ社長で元ソニーCEO(最高経営責任者)の出井伸之さんが対談された。その中で「日本の金融ビジネスは欧米に比べて、遅れているのか?」という議論が出てきた。
田原さんが出井さんに質問されたのだが、出井さんは、それに答えるのはご自分ではなく聴衆の1人として座っていた私の方がふさわしいとして、振ってきた。
「今の日本の金融機関にとって大事なのは、強欲に振り回されている現代のウォール街の真似をするのではなく、戦後の復興の一翼を担った銀行が果たした役割を振り返り、そこから未来に向かって何をすべきか考えるべきではないか」。私はこのような趣旨の回答をした。
古今東西、バブルは欲まみれの人間が引き起こす
サブプライムローン(信用力の低い個人向け住宅融資)の焦げ付きに発した世界規模の信用収縮は、起こるべき事が起こっているに過ぎないし、私はこれで事が収まるとは考えていない。
私は本コラムで2月に米国企業の格付け低下問題(7割はジャンク、米国企業のお寒い現実)を指摘し、3月にはサブプライム問題(サブプライム問題に見る米国の病魔)を書き、7月にはプライベートエクイティファンドが主役となって展開しているM&A(企業の合併・買収)ブームも、そろそろ「宴の終わりの始まりか」(ファンド上場、M&Aブームは終わりの始まり)と書いた。8月は為替を問題にし(円安を問題視しない日本の問題)、円高によって人々が大きな損失を被らないようにと願う一方、いつまでも円安麻薬にひたっているわけにはいかないのではないか、ということを語った。
これらの記事は、いずれも現在のウォール街にはびこる「強欲資本主義」の問題点を指摘したものだ。強欲資本主義とは、金さえあれば何でもできる、金がすべて、という度を超えた儲け主義のことだ。今のウォール街は、プルーデンスであることは疎まれ、欲望をむき出しにして行動することが、称賛される。こうした態度が過激になればバブルとなり、その行き着き先はバブルの破裂だ。
私は相場の予言者でも、優秀なエコノミストでもない。大学を出て以来、ずっと国際金融市場で仕事し、経済指標や新聞、経済誌を購読し、様々な経済情報に欠かさず目を通してきたが、市場の先を読むのに最も重要なのは、人間の行動を見ることだといつの頃にか悟った。バブルを起こす投機の対象はチューリップや土地と様々だが、その背後には必ず欲にまみれた人の集団がいる。
有限責任という特権を与える条件
過度の儲け主義に陥った人々が支配する今の資本主義の中で、再考しなければいけないのは恐らく「有限責任」ではなかろうか。
株式会社制度での有限責任は、この会社制度が創設された時、株主そして株主から経営を委託された取締役が一定の義務を果たすことを条件に、特権として与えられたものだ。その義務とは財務諸表のトップライン(売り上げ=ものを買ってくれる顧客)から売り上げ原価(仕入れ先)、給与(従業員)、金利(債権者)、支払うという社会における責任を果たし、その残りをボトムライン(税引き後利益)として初めて株主や経営者に振り分ける、というものである。
義務を果たすためには、株主そして経営者にはプルーデントな態度が求められていた、はずだった。しかし、今のウォール街では、証券化に使われる特別目的会社はいざとなればいとも簡単に潰して終わりにする。貸出先に勧めているノンリコース(非遡及型)ファイナンスというのは、特定のプロジェクトが破綻しても、事業主はそのプロジェクトの権利を貸出人に譲渡すればサヨナラできる仕組みである。不動産を担保にした貸し付けであるモーゲージというのもノンリコースファイナンスと一緒で、担保不動産を渡せば後は知らない、という前提で行う融資だ。
必要なところに資金を供給するのは金融機関の重要な使命の1つだが、高いリターンを得るために安易に借り手の債務を膨らませ、そのリスクが借り手でなく自分たち貸し手に跳ね返ることに対して、あまりにも無防備になりすぎてしまっている。会社を存続して様々な支払いを果たす義務よりも、自分たちの稼ぎを優先する態度が、そうさせている。その背景には、会社が破綻しても、出資した範囲でしか責任を負わなくて済む有限責任があるのではないか。
私が米ゴールドマン・サックスに入社した1984年、ゴールドマンは未公開のパートナーシップ形態の会社だった。そこで働き、経営権を持つ人間は、ゼネラルパートナーとして無限責任を負わなければならなかった。しかし、引退し経営に関与しなくなると、有限責任のリミテッドパートナーになった。
このような会社を経営するには、プルーデンシーは何よりも重要であった。有望な先端技術を開発する会社にファイナンスを与えたり、また自分たちが最先端の金融技術を開発しても、慎重さを忘れなかった。そのゴールドマンも、そして他の大手投資銀行も今ではほとんど有限責任の株式会社となっている。
貸し手も借り手も無責任
金融機関が有限責任の形態になることは構わないが、それによって、借りる方も、貸す方も、責任感もプライドもなくある意味で無責任になってしまったとしたら、どこかでこの有限責任について見直してみることが必要だ。
先日、東京にいる友人が高橋亀吉著の『株式会社亡国論』という本を送ってくれた。1930年に刊行されたものだが、読んでみると中身に少しの古さもなく、株式会社の有限責任という特権が、それを与えるに価しない人物にも与えられていることを嘆くものであった。高橋翁が現代の様子を見たならば、あまりの醜さに「すべての会社は無限責任にしろ」と提言するのでは、と考えるのは私だけだろうか。
神谷 秀樹(みたに・ひでき)
ロバーツ・ミタニLLC創業者兼マネージング・ディレクター
1953年東京都生まれ。小学校時代をタイで過ごし、75年早稲田大学政経学部経済学科卒業後、住友銀行入行。ブラジル・ミナス・ジェライス連邦大学留学を経て、84年ゴールドマン・サックス証券に移籍。92年に日本人では初めて米国で投資銀行の「ミタニ&カンパニー・インク」を設立、95年に「ロバーツ・ミタニLLC」に社名変更。米国在住。著書に『ニューヨーク流 たった5人の「大きな会社」』(亜紀書房)。「大阪府海外アドバイザー、国際ビジネス特別アドバイザー」を兼務
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