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「賃金を上げるには生産性を高めればいい」と主張する人々は、みんな嘘つきである。彼らは経済学のイロハも知らないニセ学者
http://www.asyura2.com/07/hasan49/msg/357.html
投稿者 TORA 日時 2007 年 2 月 25 日 09:54:03: CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu138.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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「賃金を上げるには生産性を高めればいい」と主張する人々は、
みんな嘘つきである。彼らは経済学のイロハも知らないニセ学者

2007年2月25日 日曜日

◆「賃金と生産性」について。 2月24日 ニュースと感想 
http://www005.upp.so-net.ne.jp/greentree/koizumi/a13_news.htm#seisan0

格差拡大にともなって、経済学で、次の見解(嘘である)がけっこうひろがっているようだ。
 「賃金を上げるには、生産性を高めればいい」 …… (a)
 「生産性を高めるには、能力のある人が能力を発揮できるように、雇用の流動性(柔軟性)を高めればいい」 …… (b)
 こういう古典派の見解については、本サイトでも5年前にも否定しておいたのだが、今になってもぐちゃぐちゃと解説する経済学者が多く、素人はだまされるようだ。
 そこで、どこがどう間違っているか、説明しておこう。

 (1) 生産性の意味
 そもそも、これは「生産性」という概念をまったく理解していない。生産性というのは、直感的には、「一人が一日に靴をいくつ生産できるか」ということである。そこで、「一人が一日に靴を 10個つくっていたあと、11個つくるようになれば、生産性が1割アップする」という解釈が出る。
 しかしこの直感は、わかりやすいが、素人向けすぎる。現実には、これは正しくない。なぜかというと、ここでは「価格が不変ならば」という仮定があるからだ。あるとき急に何らかのブームが起こったり、天変地異が起こったり、戦争があったりして、その靴の人気が急に高まれば、同じ靴が高値で売れるようになる。そのせいで価格が5割アップすれば、生産性も5割アップする。まったく同じ靴を作っていても、市場の人気度だけで生産性が5割もアップするわけだ。
 こう考えると、スターの生産性がべらぼうに高いわけもわかる。ベッカムなどの生産性がメチャクチャに高いのは、彼らの成績が抜群によいからではなくて、単に市場で人気があるからにすぎない。人気が衰えれば、あっという間に生産性は低下する。
 ここまで見れば、明らかだろう。生産性というのは、「靴をいくつ作るか」ということではなく、「金をいくら稼ぐか」ということであるから、「賃金」と同義語なのだ。「賃金を上げるには生産性を高めればいい」というのは、「賃金を高めるには賃金を高めればいい」というのと同義である。トートロジーだ。何も言っていないのに等しい。
 ここで、生産性の定義に戻ろう。生産性の定義とは、「労働力1単位あたりの(物的な)生産量」ではなくて、「労働力1単位あたりの(金額的な)生産額」のことである。これが定義だ。とすれば、上記の結論は、当り前のことなのだ。
 「賃金を上げるには生産性を高めればいい」と主張する人々は、みんな嘘つきである。彼らは経済学のイロハも知らないエセ経済学者だ。
( ※ 余談だが、ベッカムが高い生産性を上げるのは、彼が人気者だからであり、そのわけは、彼がハンサムだからだ。だから、「生産性を上げればいい」という主張は、「ハンサムに生まれればいい」という主張になる。馬鹿げている。確かに、ハンサムに生まれれば金儲けができるが、そんなことを言うのは言うだけ無意味だ。自分の主張のバカらしさを理解した方がいい。)

 (2) ミクロとマクロ
 より根源的な話をする。こういうデタラメな主張をするのは、古典派経済学者ばかりであるが、彼らはミクロとマクロの区別がまったくできていない。ミクロとマクロの問題を混同しているのだ。
 ミクロ的になら、「賃金を上げるには生産性を高めればいい」というのは、曲がりなりにも成立する。ここでは、「1個あたりの価格は変わらない」という前提が成立するから、「労働力1単位あたりの(金額的な)生産額」を増やすことは、「労働力1単位あたりの(物的な)生産量」を増やすことに相当する。そこで、「賃金を高めるには、生産性を高めればいい」という結論が出る。
 一方、マクロ的には、このことは成立しない。マクロ的には、「労働力1単位あたりの(物的な)生産量」を増やす方法などはない。そもそも、原理的に不可能である。生産性の向上というのは、どんなときにも、年率で 2%から3%程度でしかない。それから大きく変動することはない。個別企業ならば、「その企業だけが生産性を高める」ことは可能だが、国全体ではそんなことは主張しても無意味である。
 それはいわば、「運動会で一等になるには、練習して頑張ればいい」というのが、一人には成立しても、全員には成立しない、というのと同様だ。一人が一等になることは可能だが、全員が一等になることは不可能だ。
 一人にとって成立することが、(必ずしも)全員にとって成立するとは言えない。……これがマクロ経済学の原理である。このことを理解しないのが、ミクロ経済学ばかりを考える古典派だ。
 日本経済で人々の賃金が低下しているのは、人々の頑張りが低いせいでもないし、一人一人の生産性が低下しているせいでもない。バブル期に比べれば、現代の生産性は、ずっと高い。それにもかかわらず、バブル期よりも貧しい人々がたくさんいる。この問題は、ミクロ経済学者の思うような、生産性の問題ではない。では、何か? 一人一人の努力や生産性が悪いのではなくて、国全体のマクロ的な総需要が縮小していることにある。人々は、靴を生産する能力が低下したのではなくて、靴を生産しても靴を買ってくれる消費者がいないから、貧しいのだ。
 一国全体の問題(政府の問題)を、一人一人の能力不足に期するのが、古典派だ。「おまえがバカだからおまえは貧しい。おまえがもっと利口になればいいのだ」と。とんでもないことだ。バカなのは、一人一人ではなくて、マクロ的な需要調整ができない政府である。そして、そのことを見抜けずに、「何でもかんでも個人の責任だ」と主張する経済学者もまた同罪である。

 (3) 経済成長率との関係
 生産性向上と成長率とは、どう関係するか? 
 古典派ならば、「比例する」と答えるだろう。生産性向上が3%ならば成長率も3%だ、というふうに。ここから、「IT化によって生産性を向上させれば、成長率も上がる」という結論が出る。
 では、現実にはどうか? 90年代の日本を見れば、こうわかる。
 「IT化が最も急激に進んだ 90年代こそ、成長率が最悪になった時期だった」
 これが事実だ。ITなんかなかった 60年代〜80年代には、経済はどんどん成長したのに、IT化が急激に進んだ 90年代こそ、(バブル破裂にともなって)成長率が最悪になったのだ。2000年代の現状も同様である。
 では、正しくは? こうだ。
 「供給の面では、生産性の向上がどんどん進んだが、需要が縮小していたので、持てる能力を発揮できないままだった」
 つまり、能力の不足が問題なのではなく、能力を発揮する機会がないことが問題なのだ。一人一人の人間が劣悪なのではなく、一人一人の能力を発揮できるような社会的なシステムが整備されていないことが問題なのだ。そして、社会的なシステムというのは、何かたいそうなものではない。単に政府や経済学者に「需要を制御する」という概念(マクロ政策の概念)が欠けていた、ということだけが問題なのだ。( → 需要統御理論 )
 古典派の主張は、「需要が一定ならば」という仮定に基づくものだ。だが、仮定が成立しないのだから、その主張はしょせんは砂上の楼閣にすぎない。

 (4) 生産性向上の方法
 最後に、余談として、「生産性向上の方法」を示そう。
 生産性向上の方法は、何か? 経済学者はやたらと、「自由競争」とか「雇用の流動性(柔軟性)」とか「スキルアップ」とかを言う。しかし、そんなことで、急激に生産性が向上するはずがない。そもそも、それらのことは、「無駄を排除する」という効果があるだけで、「プラスを生み出す」という効果はほとんどない。
 市場原理というのは、「優勝劣敗」のことであり、「優者の割合が増えて、劣者の割合が減る」ということだ。それを通じて、全体的な生産性は向上する。しかし、優者において独自の技術が発明されるわけではない。市場原理は、あくまで、配分を調整するだけであり、個々の質を改善する効能はない。
 (政府のマクロ政策のかわりに)どうしても市場原理によって生産性向上をするなら、話は簡単だ。単に賃金をアップすればいい。優秀な企業が賃金をアップして、よそから従業員を招けば、その社では賃金アップと生産性向上が同時に達成される。(ただし企業の利益は減る。)
 一方、企業の利益を増やすには、生産性を低下させて、季節社員やアルバイトを増やせばいい。そうすれば、企業の生産性は低下するが、そのことで、賃金水準が下がるから、企業の利益は増える。……ここでは、金額的な生産性の低下(=賃下げ)こそが、企業の業績改善のコツである。そして、現実はそうなっている。
 金額的な生産性を上げたければ、企業が賃上げをすればいい。しかし、それができない。とすれば、「生産性を上げよ」という方策は、もともと無意味なのだ。
 さらにまた、量的な生産性を上げるということは、個々の企業が必死に取り組んでいることだ。経済学者が「生産性を上げよ」と主張するのは、まったく無意味である。いわば、必死になって走っているマラソン走者に、「一位になるにはもっと能力を高めればいい」と告げるのと同様である。あるいは、受験生に向かって、「合格するにはもっと学力を上げればいい」と告げるのと同様である。そんなことを告げれば、「言われなくてもわかっている」と怒られるだけだろう。「あんたにはそのくらいのことしか言えないのか。幼稚園児並みの頭だな」とバカにされるだろう。

 結語
 「生産性を上げればいい」というのは、次の意味がある。
  ・ 各企業にとっては …… 量的には無意味。金額的には業績悪化。
  ・ 労働者にとっては …… 無意味。賃上げと同義だが、望んでも得られない。
  ・ 国全体にとっては …… 無意味。供給の問題ではなく、需要の問題。

 要するに、「生産性を上げればいい」というのは、まったく無意味な論議なのである。何も言っていないのに等しい。どちらかと言えば、逆効果があるかもしれない。
 現在の経済悪化は、靴を生産する能力が低下したのではなくて、靴を生産しても靴を買ってくれる消費者がいないからだ。バブル期に比べて、経済が質的に悪化したからではなくて、経済が量的に縮小したからだ。バブル期には、パソコンもなく、ワープロ専用機で仕事をしていた。生産性は今よりもずっと悪かった。それなのに人々はずっと幸福な生活を送れた。
 なぜか? 経済学者が「生産性を高めればいい」なんていう嘘をついて、人々をだますことがなかったからだ。だからこそ、低い生産性でも、十分に幸福な生活を送れた。どうして? 需要があったからだ。需要があれば、一人一人がまともな職場で働くことができる。そうすれば、IT技術を習得することもなしに、一人一人が自然に高い生産性を発揮できる。
 「生産性を高めるためにIT技術を習得せよ」なんて主張するエセ経済学者は、バブル期の日本の状況を見ればいいのだ。

 [ 付記1 ]
 本項の核心を、一言で言えば、こうだ。
 「一国経済の本質を見抜くには、ミクロ経済学ではなく、マクロ経済学によるべし。」
 「個の総和が全体になるわけじゃない。一人が努力すれば一人が勝つが、全員が努力しても全員が勝つわけじゃない。どんなに各人が努力しても、徒競走で全員が一等になることもなく、相撲で全員が白星になることもない。何でもかんでも各人の責任にするのは、国家の無能さを正当化するだけだ」
 これを一言で言えば、「古典派経済学者は嘘つきばかりだ」ということ。
 なお、嘘つきを見抜く方法を教えよう。上記のことからわかるように、「賃金を上げるには生産性を上げればいい」というふうに、「生産性」というものをやたらと持ち上げる人がいたら、その人はまさしく嘘つきである。「生産性」という言葉は、嘘つきを見抜くための道具としては、とても便利だ。
 たとえば、小泉や竹中がそうだ。彼らは「構造改革で生産性を上げよう」と主張して、結局、「生産性の向上」というラッパを吹くことしかしなかった。「生産性」という言葉を使った時点で、彼らは嘘つきだと判明する。

 [ 付記2 ]
 派遣労働者などの生産性を高めるには、どうしたらいいか? IT技術を習得すればいいか? 実は違う。彼らの賃金を単にアップすればいい。それには、労働組合を結成したりして、団交によって賃金水準をアップすればいい。労働組合の威力こそ、賃上げ(= 生産性アップ)のコツである。
 ただし、そうすると、その分、正社員の賃金は下がる。派遣社員の賃金(=生産性)は上がるが、正社員の賃金(=生産性)は下がる。労働者全体では変わらない。
 じゃ、労働者全体の賃金を上げるには? 正社員も含めて、労働者がそろって団交をして、会社全体の賃金を上げればいい。ただし、一社だけでやると、その企業がつぶれる。そこで、国全体で、ゼネストみたいな形で、一挙に賃上げをすればいい。そうすれば、マクロ的には、総所得と総需要が増加するので、景気は一挙に回復する。(→ 前出 「企業のいっせい賃上げ」)
 これが実現すれば、不況期における「コストアップインフレ」になり、デフレも不況もあっという間に吹っ飛ぶ。失業はあっという間に解消し、日本は再びバブル期のような好況になる。派遣社員は正社員として雇用されるようになるので、賃金の上昇にともなって生産性は急激に上昇する。
 では、なぜ、現実にはそうならないか? 労働組合の力が弱まっているからだ。そのせいで、労働者は派遣社員のような形に追いつめられる。企業は労働者の賃金をどんどん切り下げ、自社の利益を増やすが、そのことで、回り回って、一国全体の総需要が縮小して、景気が低迷する。……つまり、企業が自社の利益の最大化をめざすから、国家経済は低迷する。これは「合成の誤謬」だ。
 で、こういう「合成の誤謬」に気づかず、あくまで個の論理にとらわれているのが、古典派経済学者。「目がふしあな」と言ってもいい。自分で落とし穴を掘って、自分で穴に飛び込んでいるのに、なぜ自分が穴に落ちたのか、わからないでいるわけ。「最適のことをしたのに、なぜ穴に落ちたのだろう?」と。実は最適のことをしたからこそ穴に落ちたのだ、ということがわかっていないのだ。
 そのわけ:二人の人間AとBが、自己の利益の最大化を狙って、相手の前に穴を掘った。Aの掘った穴にBが落ち、Bの掘った穴にAが落ちる。自己の利益の最大化を狙った結果、総和は最大にならずに最小になる。(企業は自己の利益を狙って労働者の富を奪い[=賃下げ]、労働者は自己の利益を狙って企業の富を奪う[=安いものしか買わない]。たがいに相手の富を減らしあって、最小化。それが「縮小均衡」だ。……こういうのが、マクロ経済学の理解。)

 [ 付記3 ]
 ではなぜ、間違いだらけの古典派経済学がのさばり、まともなマクロ経済学は主流にはならないのか? それは、古典派経済学者が、学界を牛耳っているからである。一種の談合(カルテル)だ。
 談合に加わっていれば、全員が安泰である。一方、異端の優秀なものが入ってくると、全員が敗者となる。だから、全員で結託して、異端の優秀なものを排除する。これが談合の原理。
 この世では、市場原理ですべて片付く、ということはない。その典型的な見本が、経済学者の世界だ。そこでは、市場原理は働かず、談合の原理だけが働く。彼らは競争によって負けることを拒むので、競争自体を排除するのだ。それならば絶対に負けないからだ。
 その例。「古典派経済学は否定されているが、それに変わるものが現れていない」という主張。バカじゃないの? マクロ経済学も知らないのだろうか。総需要管理とか、減税とか、いろいろな方策が知られているのに、そういうものを一切無視して、朝から晩まで「市場競争の貫徹」とばかり唱える。彼らは、学問の世界では、ライバルを排除し、競争をなくす。それこそが(劣悪な)自己の安泰を保つ方策だからだ。
 ちなみに、日銀の政策決定の場でも、そこにはマネタリズムとサプライイサイドの人がいるだけで、ケインズ系の人もいないし、マクロ経済学者もいない。(エセ・マクロ経済学者 = マネタリスト ならばいるが。彼らはマクロ経済学者ではないので、間違えないように。彼らはマクロ現象を論じるミクロ主義者である。)
 余談だが、「生産性の向上で経済成長」と唱える人々は、サプライサイドと呼ばれる。経済学の世界では、まともな経済理論とは見なさされない立場であり、バカにされることが多い。しかしながら、その理論の欠落が、単純さ(ほとんどワン・センテンスで説明できる)として歓迎あれ、保守的な政治家の間では受けがいい。したがって、権力的には、最大の権力を持つ。たとえば、小泉純一郎・竹中平蔵などだ。
 一方、マネタリストは、日銀に牙城を築いている。
 で、この両者は、ちょっと見ると仲が悪いように見えるが、しょせんは古典派の枠内にあるので、同じ穴のムジナにすぎない。普段は仲が悪いように見えるが、ときどきケインズ派やマクロ経済学者が異を立てると、一致団結して、「市場原理」を唱えて、「労働組合の弾圧と企業利益の拡大こそ、最善の策だ」と主張する。ま、どちらにしても、経団連の飼い犬です。


(私のコメント)
ネットの世界では生産性や賃金の問題について論争が起きているようですが、ミクロ経済学でマクロ経済を説明しようとすると訳が分からなくなる。ミクロ経済の理論がいくら正しくともマクロ経済では間違っている事になるからだ。一人の人の生産性が上がればその人の賃金は上がって豊かになる。しかし皆が生産性が上がれば商品やサービスの需給が崩れて貧しくなってしまう。

だから生産性を上げれば豊かになるという理論はマクロ経済では間違っている事になる。マクロ経済では労働者の生産性を上げるには賃金を上げれば生産性は上がる。その代わりに企業の生産性は落ちて利益が減る。ところが現実には企業の利益が上がり、労働者の方は正社員のクビを切り派遣労働者に切り替えているから所得が落ちている。

日本が高度成長経済時代には企業の利益が上がり、労働者の賃金が上がっていったから日本中が好景気になった。ところが80年代頃から賃金の頭打ち傾向が続いて物価もあまり上がらなくなった。それまでは賃上げがあれば一般の物価も上がって賃金と物価の値上げ競争が起こっていた。

ところが80年代になってアジアや中国などから安い商品が入るようになって物価の値上がりは抑えられぎみになり、賃金も派手な上がり方はしなくなった。円が高くなった事や外国から安い商品が入ってきたからだ。輸出企業などは円高とコスト競争にさらされて、労働者の賃上げをストップさせる事で調整したからだ。

アメリカからは内需を拡大せよと何度も圧力をかけられてきましたが、賃上げがストップすれば内需の高まりようがないわけですが、政府や日銀は大幅な金融緩和で景気を上げようとした。しかし上がったのは株や土地などの資産だけで内需の高まりはあまりなかった。その結果バブルが発生して崩壊した。

円高などの為替相場と賃金とは深い関係がある。超円高で人件費の競争力がなくなり賃金の頭打ちから非正規社員化で賃下げが起こった。企業の生産性は上がっているが労働者の生産性は落ちた事になる。これでは景気が良くなる訳はない。

最近では円高も一服するようになりましたが、ユーロの登場が円の代わりをしてドルのヘッジ手段としてユーロが買われるようになったからだ。ドルはニクソンショック以来、金との兌換性を失いドルは値下がりを続けた。アメリカは基軸通貨の特権を生かしてペーパマネーを乱発して世界中から物を買いまくっている。日本がドルを買い支えている限り心配はない。

日本はドルのヘッジ手段としての重荷を下ろすことで円の為替は平常の水準に戻ろうとしている。その結果、今年あたりは賃上げも復活しそうだ。円安になれば賃金の競争力も付いて上げやすい。円安は物価の上昇と賃金の上昇をもたらすからミニ好景気も起きるかもしれない。

現在では韓国の物価よりも日本の物価が安くなり海外から買い物客も増えている。土地も安く買えるからオーストラリアから北海道の別荘を買う人も増えてきた。このように円安は労働者の賃上げもしやすくなり国内的には物が動き始めて景気は良くなる。通貨は安いほうが海外から投資も呼び込みやすい。だから円安さま様なのだ。

しかし円安で他のアジア諸国や中国の競争力がなくなるから世界経済的には波乱が起きる可能性がある。性能の良い日本の車やハイテク家電が中国製品や韓国製品を駆逐するのは訳はない。EUの車も危ないだろう。だから世界では円が安すぎると大合唱が起きている。しかし今までが円は高すぎたのだ。

80年代90年代の円高時代は日本企業は生産性の向上に努めてきましたが為替が何十%も動けばいっぺんに吹っ飛んでしまう。逆に生産性を向上させなくとも為替が安くなれば生産性が上がったようになるから景気が良くなる。アメリカのドルや中国の元は安いからバブルといわれるほど景気が良かった。現在厳しいのはユーロ高のEUだ。

このように日本は1ドル=100円でも大丈夫なくらい円高抵抗力があるのに、アメリカはドル高抵抗力はないしEUもユーロ高抵抗力はない。中国やその他のアジア諸国もドルにヘッジしているからドル高抵抗力はない。日本は円高時代に生産性を上げてきたから少しくらい円高でも日本製品は競争力があるが、その他の外国では安くしないと売れないものばかりだ。

生産性の向上には血の出るような努力と知恵を使いますが、それよりかは通貨を安くしたほうが競争力が付いて生産性が上がる。しかしそれを長いこと続けていると企業に競争力はなくなりマイナスだ。アメリカの自動車業界はドルがいくら安くなっても海外には売れない。アメリカが海外に売れるものは農産物とコンピューターソフトぐらいしかなくなってしまった。

アメリカで一番生産性が高くなっているのは金融業でありゴールドマンサックスでは新入社員が数千万円のボーナスをもらっている。なぜそんなに生産性が高いのかというとアメリカ政府はもとより世界各国に情報網を張り巡らせて情報を金に換えているからだ。国際金融資本は国家を動かして金を儲けてる。アメリカは滅ぶ事があっても国際金融資本は残るだろう。

日本人はこのような金融業には向かないから、絶えず技術開発と生産性の向上に努めて行くしかないだろう。しかし日本人も経済や金融や情報に強くならなければ国際金融資本に食い物にされてしまう。ネットにおける生産性や賃金のミクロやマクロの取り違えた間違った経済論争に翻弄されている限り、国際金融資本の情報戦略に踊らされてしまう。

日本における経済学者やエコノミストの生産性は非常に低い。学者ですらミクロ経済とマクロ経済の違いが分からず、国家の経済政策に対する正しい政策提言が出来ていない。小泉首相や竹中大臣のような低脳政治家や低脳学者は生産性が上がれば賃金が上がるなどと一見分かりやすい文句に踊らされてしまう。しかしマクロで見ればそれは間違っている。

今の日本にはアメリカ仕込の古典派経済学が政財界を占めていますが、マクロ経済学やケインズ経済学は理解するには高度な知能が必要だからなかなか理解されない。「株式日記」ではケインズ政策を主張してきましたが需要を起こす事が経済の活性化につながる事を理解しようとせず、財政再建を優先させてしまう。東大出の低脳財務官僚がマクロ経済理論を知らないからだ。


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