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(回答先: 夕張 2007冬<1> 生活切りつめるしか…(東京新聞) 投稿者 天空橋救国戦線 日時 2007 年 2 月 05 日 09:44:03)
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kur/20070205/ftu_____kur_____000.shtml
隣町の栗山町、夕張では見慣れないホームセンターや大型スーパーが並ぶ幹線道路沿いに、中華料理店「廬山(ろざん)」がある。夕張市の財政破たんが明らかになった後の昨年九月、佐藤勝さん(63)、勝一さん(40)親子が夕張を去り、開いた店だ。
「今も後ろ髪を引かれる」と勝一さんは言う。「家族が食っていくためには出るしかなかった」
生まれは夕張。高校も地元だ。札幌に数年出た後、もどって市の第三セクターが運営するホテルで和食の料理人をしていた。夕張に帰ることは自然な選択だった。
だが年々、利用客が減少しだした。給料が年間に三、四十万円カットされた。「馬力のあるうちに何とかしなくては」と二年前、独立を考え始めた。市内で中華料理店を開いていた勝さんに相談した。比較的人口のいる地区に構えていたその店も、過疎化で客が減り、将来の見通しが立たなくなっていた。
勝一さんの脳裏に、慣れ親しんだあの顔、この顔が思い浮かんだ。
「はな垂れのころから近所のおばさんに『しょうちゃん』とかわいがってもらった。嫁さんの両親は夕張にいるし、うちのばあちゃんも、死んだじいちゃんの思い出があるから夕張を離れない。中学一年の娘の同級生もたくさんいる…」
「故郷を捨てる」ことはこれまで考えたことはなかった。だが、生きていかなければならない。コツコツためた約五百万円で今の店を開いた。
新しい店にもかつての常連客ら夕張からの客が訪れ三、四割を占める。
「本当に感謝している。言葉がない」と勝一さんは顔をゆがめた。
◇
「のんびりが、ここのいいところ」
浜松フミさん(85)は、自宅横の物置小屋の屋根にいた。まもなく米寿というのに、雪下ろしの手つきは危なげがない。
映画「幸福の黄色いハンカチ」のロケ地跡の公園そばに住む。夫を亡くしてから一人暮らしをして約十年。それまで夫婦で理髪店をしていた。炭鉱が盛んだったころは、炭鉱会社の「指定の床屋」で炭鉱マンたちでにぎわった。家賃も水道代も会社持ちで無料だった。
「夕張ばりばり酒ばかり どかんとくれば死ぬばかり」と住民は戯(ざ)れ言(ごと)を口ずさんだ。いったん事故が起きれば命を落とす危険と裏表の「宵越しの金は持たない」気性にも、とっぷりつきあった。「おみそ貸し合ったり。近所づきあいがあるのも良かったね」
昨年から、岩見沢市と札幌市にいる子どもたちが「来ないか」と呼んでくれるが、行く気はない。「世話になることもないね。しょうがない。ここにいたい。私のうちだから」。夕張にいたいと願う高齢者は多い。
「夕張の暮らしが身に付いてるからね。理屈ぬきなのさ」と元炭鉱マンの新井良平さん(70)は言う。横で「身内が近くにいないから、一人になったらさみしくなるな、とは思うけど…」と妻のふじ子さん(63)の気持ちは微妙に揺れる。「くしの歯が欠けるように人がいなくなる」
破たん判明後の昨年七−十二月の市外への転出者は、前年同期比一・八倍に増えた。人口は一万二千八百二十八人(一月一日現在)まで落ち込んだ。新井さんが三十年住んでいる市営住宅には、一帯三百五十戸に、七十歳以上が約二百人いる。「老人の村みたい」とふじ子さん。大鍋におでんを作っては、一人暮らしのお年寄りに届ける。
「『離れたくない』と泣いて転居していく。去る人も残る方も、どうしようもない」
(鈴木久美子)