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http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/070123_riage/ から転載。
2007年1月23日
1月18日に開かれた日銀の金融政策決定会合で、かねて日銀が踏み切ると見られていた短期金利の追加利上げ(無担保コール翌日物について、現行0.25%を0.5%)を中止したので、円相場が乱高下した。
なぜ日銀は追加利上げを見送ったのか。
政府の圧力に屈した福井日銀総裁
この前後数日間の動きを見れば、それが政府筋の圧力によるものだったことは、あまりにも明らかだ。記者会見でそういう意味の質問を受けた福井俊彦日銀総裁は、そんなことは絶対にないと色をなして怒ったというが、新聞報道を追ってみれば、福井総裁の言が偽りであることがはっきりわかる。
まず大状況として、日銀が中央銀行の最も大切な機能である金利操作機能を失って久しいが、できるだけ早い機会にその機能を取り戻さなければならないと強く思っていたという状況がある。
中状況として、昨年7月、経済状態が回復してきたので、ゼロ金利状態を解除して、金利操作機能回復の第一歩が踏みだされていたということがあった。
本格的機能回復のためには、第一歩だけでは足りない。第二歩が必要である。その第二歩によって日銀が市場にいらざるショックを与えまいとして、日銀はかなり前から再利上げに向けての体制作り(その意図を市場に事前に伝えておくなど)を着々とすすめていた。
金融市場もそれを織り込んで動きはじめ、再利上げがスムーズに行われることが確実となったところで、突然政府側から圧力がかかった。そのために、日銀が腰くだけになってしまったということは、明らかすぎるほど明らかなことである。
政府筋の圧力とは何かといえば、中川秀直自民党幹事長が1月14日に言及した「議決延期請求権」の行使である。
通貨政策の最終決定権は日銀の側にある
金利など、基本的通貨金融政策の決定権限は、本来日銀にある。しかし、それがあまりに不都合な決定と思われるときは、政府はその議決の延期を請求できるとの定めが日銀法の中にある。
しかしそれは、政府の権限が日銀の上位にあって、日銀が何を決めようと政府がそれをひっくり返すことができると定めたものではない。政府にできることは、「議決の延期」を「請求」することだけであって、それ以上のものではない。要するに政府は日銀に対して、「それを決めるのはちょっと待って」くらいはいってもよいが、「そんなことはするな」とか、「これこれのことをしろ」などといった命令に類することはいえないということである。
だから、「ちょっと待って」を政府が求めても、通貨政策の最終決定権それ自体は日銀の側にあるのだから、政府の請求のほうがおかしいと日銀が判断するなら、日銀がそれを拒否するということもできるのである。
事実、00年8月、速水優日銀総裁時代に、ゼロ金利解除を日銀が決めたのに対して政府が「議決延期」を請求したのにもかかわらず、日銀がそれを拒否して、ゼロ金利解除を強行したという事例がある。
またそうなってはたまらんと考えたのか、中川幹事長自らこの例に言及して、「そういう道を繰り返すなら重大な法制度の欠陥と考えざるをえない」と述べた。
要するに、日銀が政府の言うことに反抗するのはケシカランから、日銀が必ず政府の言うことを聞くように、法律で縛ってしまうぞ、と強権的措置をとることをにおわせたわけだ。そして、すぐそれに援護射撃を放つように、中川昭一自民党政調会長、大田弘子経済財政担当相などが一斉に、日銀の金利切り上げはけしからん、そんなことをしたら景気回復の足をひっぱることになる、などの発言があいついだ。
これら一連の政府与党要人からの圧力が日銀の方針変更を導いたことはあまりにも明らかである。
中川政調会長の危険な“トンデモ発言”
金利など、通貨の価値と直結するパラメータは、通貨の価値を守ることを本来の任務にしている中央銀行が政治的思惑などとは離れて、独立に決定していくというのが、世界中の近代国家の大原則である。
政治家がそれにみだりに口をさしはさんで圧力をかけるがごときことは、してはならないことである。またそういうことをすることを政治家連中に許すと、経済的にきわめてキケンな状況を招来しかねない。
通貨政策には素人考えしか持たず、なにごとによらず政治的思惑で動くことを第一義とする政治家の影響力排除が絶対に必要なことである。
金利操作に政治家の口出しを許すということは、いってみれば、ジャンボ機の操縦室に素人を導き入れて、飛行機の操縦にあれこれ口を出させるようなもので、飛行機の安全な運航を願うならしてはならないことである。
中川昭一政調会長などは、「金利を上げてはならない。これは我々の政治判断だ」と口走ったというが、これはとんでもない発言だ。中川政調会長は、これまでも日本の核武装の議論容認など、トンデモ発言をすぐにしてしまうアブナイ政治家だが、これまたトンデモ発言だ。政治判断で、きわめて専門性の高い精緻なシステムのパラメータをいじってしまうことほど危ないことはない。
今回の騒動の後、世界の通貨市場で円が乱高下したというのは、日本の通貨システムに、政治家が安易に介入して恣意的にそれを動かしてしまうことが可能だし、またそういう意図を持つ政治家が権力中枢にいるということがわかって、円に対する信認がゆらいだからなのである。
今回の金利切り上げは、円に対する信認回復という点において特に大きな意味を持っていたのに、それがまたゆらいでしまったのである。
ゼロ金利が日本に国家的損失及ぼす
ゼロ金利というのは、世界の通貨金融史上まことに珍しい現象であって、こんなことが起きたのは、世界でもはじめてのことである。
このようなことは、経済学の常識上起こるはずがないことだった。
ゼロ金利・量的緩和がつづいている間、円はきわめて病的な状態にあった。
円がゼロ金利でいくらでも供給されたから、インフレが起きたと同じことで、円の価値は下落した。円安が誘導され、輸出企業はそれによって大きな利益を獲得した。
トヨタが世界一の自動車メーカーになれたのも、そのおかげという側面がある。輸出企業の繁栄から、日本経済の回復がはじまったのだから、そこだけを見れば、ポジティブに評価できるが、その半面、何が起きていたのかというと、円の下落によって、日本は国家的損失をこうむりつづけた。
その国家的損失がどこにあらわれたかを考えてみると、結局、市場への通貨の供給は巨大な赤字国債の積み上げを通じて行われていったわけだから、日本が世界一の財政破綻国家になったことそれ自体がそのあらわれだといえる。つまり日本国という国家それ自体が、その損失を全部かぶったのだともいえるわけだ。
預金者の犠牲で全滅まぬがれた金融機関
逆にゼロ金利で利益を得たのはどこかといえば、まずは金融機関である。おしなべて破綻状況にあった金融機関が、06年いっせいに驚くほど利益をあげることができたのは、ゼロ金利のおかげである。ゼロ金利状況下で、預金者には金利をほとんど払わずにすますことができ、一方、融資先からはそれなりの金利をとったわけだから、06年のメガバンクなど、いっせいに数兆円の利益を上げたのである。
要するに預金者の犠牲において、平成金融恐慌下で全滅寸前だった金融機関がみな救われたのである。
儲けは、外銀がまた大きかった。ゼロ金利の日本で円を調達し、それを外国にもっていって、債権に投資するだけで、アッという間に内外の金利差を利用した大儲けができた。これを円・ドル間のキャリー・トレード(あるいは円・ユーロ間のキャリー・トレード)などというが、ただ今現在、円・ドル間の金利差は約5.25%ある。
日本で円をゼロ金利で大量に獲得できるのは、翌日物コール市場だった。そこで得た大量の超短期資金を集めてつないで、長期物の債券投資にまわす金融技術があるのは、やはり外銀だった。その資金調達量は、いま10兆円台の規模に達しようとしている。
要するに、ゼロ金利・量的緩和時代の日本で、一方的に利益を獲得していたのは、日本の金融機関と外国の金融機関、それに輸出産業などだった。それに対して、一方的に損失をこうむっていたのは、銀行の預金者と日本国と日本国の納税者たち、要するに日本国民のすべてといっていいのだ。
しかし、ゼロ金利・量的緩和政策という異常な金融政策が行われるにいたったについては、日本金融システムの破滅、日本経済の破滅を救うためにやむをえなかったという側面がある。というわけで、この政策をただちに非難することもできない。
簡単にその経緯をふり返っておこう。
6年半に及ぶ異常なゼロ金利政策
90年のバブル崩壊以後、日本経済の急激なスパイラル下降がはじまった。95年以後それは一連の金融機関の破綻をもたらし、平成金融恐慌ともいうべき事態が現出した。95年兵庫銀行破綻、97年北海道拓殖銀行破綻、山一証券自主廃業、98年日本長期信用銀行破綻といった事態がそれである。
危機の深化と広がりとともに、日本の金融システム全体どころか日本経済全体がシステミックな崩壊の危機にさらされる中で異例の救済措置としてとられたのが、ゼロ金利政策である。それは99年2月にはじまり、2000年8月にいったん解除(先に述べた速水総裁の時期で、政府から議決延期要請が出たケース)されたものの、さらなる経済危機の進行から01年3月に再びゼロ金利政策に舞い戻った。
しかもゼロ金利だけでは足りず、量的緩和政策という今までにない異常な金融政策が開始された。ゼロ金利でも需要がない資金を各金融機関に無理やり持たせるという異常そのものの政策だった。要するに、日銀が金融市場全体をゼロ金利のお金でジャブ漬けにすることによって、いかなる金融機関の破綻も起きないようにしたということなのだ。
当時、景気はとことん落ち込み経済活動全体が火が消えたようになっていた(資金の借り手がほとんどいなかった)が、ゼロ金利のお金をそれだけ市場にあふれさせれば、少しは資金の借り手が出てきて、景気も上向きはじめるのではないかという目論見だった。
そのきき目がさっぱりあらわれなかったため、当初はむりやり量的緩和の量をどんどんふやしていった。資金供給は、各金融機関が日銀の中に持つ当座預金口座のポジションの調整という手段によって行われた。
もうお腹いっぱいです。ゼロ金利でもこれ以上は資金はいりませんという金融機関に対してすら、ギュウギュウに資金を押し込んで持たせるというおよそ信じがたい政策が5年にわたってつづけられた。いちばん極端な時点では、ゼロ金利どころかマイナス金利(金を借りるほうが金利をもらえる)という事態が生じたことすらあった。
そのような異常事態がつづく間にようやく経済が回復のきざしを見せて、資金の需要が上向きはじめたので、06年3月に量的緩和政策が解除され、06年7月にはゼロ金利政策も解除された(誘導金利が0.25%となった)。その上に、さらに0.25%を積み上げ、0.5%の金利にすることで、日銀のオーソドックスな金利政策への本格復帰の第一歩にしようとしたのにそれが果たせなかったというのが、今回の騒動である。
バブル崩壊以後の政治責任は自民党にある
ここまでの経緯でわかるように、ゼロ金利・量的緩和などというものは、異常な状態(日本経済の事実上の破綻状態)がもたらした異常な政策というべきで、その状態から脱することが可能になったら一刻も早く脱すべきものである。
そうでないと、また別の異常(たとえば、過剰流動性によるバブルの再燃など)がすぐに起こる恐れが強い。そしてそちらのほうが、今回の騒動で、再利上げをおさえる側にまわった政治家たちが口にする景気の中折れ現象が起きる危険よりも、よほど恐ろしい結果をもたらすのである。
あのバブルの時代をもたらした責任の相当部分が、国家経営を中心的に担っていた自民党政治家たちにある。そしてまた、バブル崩壊以後に起きた日本経済の異常状態の相当部分の責任もまた、自民党政治家たちの野放図な日本国運営にあったのだということを、いまもう一度思い出すべきではないか。
2人の中川(幹事長と政調会長)のような強権政治家的ふるまいを許していたら、日本はまたとんでもないことになる。
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立花 隆
評論家・ジャーナリスト。1940年5月28日長崎生まれ。1964年東大仏文科卒業。同年、文藝春秋社入社。1966年文藝春秋社退社、東大哲学科入学。フリーライターとして活動開始。1995-1998年東大先端研客員教授。1996-1998年東大教養学部非常勤講師。2005年10月-2006年9月東大大学院総合文化研究科科学技術インタープリター養成プログラム特任教授。
著書は、「文明の逆説」「脳を鍛える」「宇宙からの帰還」「東大生はバカになったか」「脳死」「シベリア鎮魂歌—香月泰男の世界」「サル学の現在」「臨死体験」「田中角栄研究」「日本共産党研究」「思索紀行」ほか多数。近著に「滅びゆく国家」がある。講談社ノンフィクション賞、菊池寛賞、司馬遼太郎賞など受賞。