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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu136.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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リチャード・クー(著) 『「陰」と「陽」の経済学』 失われた
15年は構造問題でも銀行問題でもなかったことを示している。
2007年1月26日 金曜日
◆「陰」と「陽」の経済学―我々はどのような不況と戦ってきたのか リチャード・クー(著)
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9981537292
◆日本経済が回復したのは、銀行間題が解決したからでもない
こういう話をすると、不況の最大の原因は銀行問題ではなかつたかという声が必ず出てくる。こういう意見は最近でこそほとんど聞かれなくなったが、数年前までは随分はやった。
銀行に問題があることによって日本経済のおカネが回らなくなり、これが景気の悪化をもたらしているのではないかという主張である。しかしここも構造問題と同じで、日本に大きな銀行問題があるというのはそのとおりだが、それが日本経済のボトルネックになっていたかといえば、答えはノーである。
まず前者について、アメリカの大手格付機関であるムーディーズが作成している日本の大手銀行の財務格付けを見ると、ひと頃に比べて良くなったとはいえ、いまだにAとBとCは一行もなく、落第点のDしかない。
そのくらい、今でも日本の銀行のおかれている状況は厳しい。大体、銀行の財務格付けはBマイナス以上が合格点と考えられるが、今、日本の大手銀行には、Bどころか、Cも一行もない。
不良債権問題から脱却したとは言え、依然としてそういう状況にある。しかし、もっと早く銀行問題を片づけておけば、その直後から日本の景気が良くなったかというと、答えは構造問題と同様、ノーである。
なぜそうなのかというと、もしも銀行が日本経済低迷のボトルネックだったとしたら、つまりおカネを借りたい人は数多くいるのに、銀行がボトルネックになっておカネが回らないという状況が本当に存在するのであれば、それに伴ってさまざまな金融現象が起きているはずだからである。
例えば、資金を必要としている企業は、銀行からの借り入れに最も近い代替物として、社債市場で社債を発行するという手段がある。もちろん社債が発行できるのは上場企業に限られるが、日本には三八○○社以上の上場企業があるので、そういう企業は銀行から資金調達ができなければ、どんどん社債市場に行って社債を発行するなり、また株式市場で株を発行して資金調達をしていたはずである。
それでは、そのような動きが過去十数年問の日本で見られたかというと、全く見られていない。図表1.2のいちばん上にあるグラフは、日本企業の社債残高を示したものだが、何と二〇〇二年ごろからずっと社債の残高が減っているのである。増えているのではなくて減っている。
減っているということは社債の新規発行よりも償還の方が大きいということになるが、これがゼロ金利の状態で起きているということは、通常では考えられないことである。
銀行がおカネを貸してくれないのには、銀行側にもそれなりの事情があるのかもしれないが、社債発行の判断は企業が決めるわけで、もしも彼等が本当に資金を調達しようとしていたら、今ごろ社債市場の残高は急増しているはずである。ところが、現実は急減したのである。
もう一つ、日本の銀行はバブル崩壊で大きな不良債権問題を抱えたとしても、シティバンクや、バンク・オブ・アメリカ、HSBCといった外国銀行は、そういった問題を抱えていない。
もしも日本企業に旺盛な資金需要があるにもかかわらず、日本の銀行が自己資本や不良債権の問題でおカネを貸せないとすれば、これは外銀から見れば、彼等が日本市場に食い込むまたとないチャンスとなる。
実際のところ、外銀にとってこれまでの日本の企業は、いろんな過去のしがらみや人的関係などがあって食い込みにくいと言われていた。ところが今なら日本の銀行がおカネを貸せないなかで、外銀は今こそ歴史的チャンスということで、ソニーや松下といった大企業にどんどん食い込んでいたはずである。その結果、今ごろは日本中が外銀の支店だらけになっていなければならない。ところが、実態は全くそうなっていないのである。
一九九七年以前は、外銀が日本で支店を開設するのにいちいち大蔵省の許可を取らなければならなかった。しかし、九七年のいわゆる「ビッグバン」でそれもすべて撤廃され、今、外銀が国内に支店を開設しようと思えば原則自由に開設できる。このように規制緩和が進んでいるにもかかわらず、実際は全然そういう状況になっていない。
一部の外銀は個人向けなどのリテール分野でシェアを伸ばしているが、この図表1-2の真ん中のグラフを見れば明らかなように、外銀の貸出残高はこの十数年間、ほとんど増えておらず、逆に、かなり減っていた時期もあったほどである。本来なら、過去一五年は、外銀にしてみれば歴史的なビジネスチャンスであったはずなのに、外銀は来なかったのである。
三つ目に、資本市場からは資金調達ができない中小企業などの非上場企業は銀行からカネを借りるしかないが、もしも、銀行が自己資本の問題や不良債権の問題で少ししかカネを貸せないという状況だったとしたら、そこでは当然市場原理が働いて、貸出金利は上がっていくはずである。
もしも銀行が少ししかおカネを貸せないのに借りたい人が数多くいるとしたら、当然借り手企業の間で資金の争奪戦が起きて、銀行の貸出金利は上がっていくと考えられるからだ。
例えば、ある銀行が企業Aに二%の金利でカネを貸したとしよう。そうすると別の企業Bは、「あそこに二%でカネを貸すとはとんでもない。うちのプロジェクトは少なく見積もっても一五%で回る。うちは三%、いや三・五%でもいいからカネを貸して欲しい」となる。
するとまた別の企業Cは、「あそこに三・五%でカネを貸す? うちのプロジェクトは少なく見積もっても二〇%で回る。うちは四%出そう、いや、五%でもいとと言い出す。このようにして、銀行の貸出金利はどんどん上がっていくはずである。したがって、中央銀行が短期金利を下げても、民問銀行の貸出金利は上がっているはずなのである。
それでは、日本でこのようなことが起きたかというと、全く起きていない。図表1-2のいちばん下のグラフを見れば明らかなように、銀行の貸出金利もこの一五年問下がる一方で、これも人類史上最低の水準になっている。
邦銀の問題が景気のボトルネックであれば、貸出金利は上がり、外銀のシェアも伸び、社債市場は活況を呈していなければならないのに、現実は全く逆のことが起こっていたのである。
◆アメリカの貸し渋り問題のときとは逆の現象が起こった日本
なぜこの三つの金融現象を挙げたかというと、一九九〇年代の前半にアメリカですさまじい貸し渋りが発生し、そのときにこの三つの現象が発生したからである。
ことの始まりは、一九八九年にアメリカで多くの貯蓄貸付組合(S&L)が潰れ、一六〇〇億ドルという巨額な納税者のカネがその処理に必要となったことであった。
それで当局の銀行検査官が慌てて商業銀行の実態を詳しく検査したら、こちらの内容もかなり傷んでおり、それを厳しく査定したら、多くの銀行は自己資本が不足しているということが分かった。そこでアメリカでは一九九一年から九三年にかけて、すさまじい貸し渋りが発生してしまったのである。
この結果、銀行からカネを借りるこどができなくなった上場企業は、みな社債市場での資金調達に走り、アメリカの社債市場は大活況を呈した。また、外銀のシェアが急増して、一九九一年以前は数%しかなかった彼等のシェアが一九九四年には三〇%にまで上昇した。
当時のアメリカにおける外銀シェア急増のなかには、当然日本の銀行も入っていた。私もよく覚えているが、当時私が東京のオフィスで仕事をしていると、私の高校、大学の友だちから「今、東京にいるんだ」とよく電話がかかってきた。
彼等はアメリカの企業でトレジャラー(財務)等の仕事をや、っている人たちだったので、私が「東京に来て何やっているの」と尋ねると、「アメリカの銀行にクレジツトラインを切られてしまったので、今、日本の銀行に、アメリカの銀行に切られたクレジツトラインと同じものを設定してもらうために来ているんだ」といった話をしていた。
それでは、この一五年間、日本の企業はニューヨークや香港、または台北などに出向いて、円のクレジットラインを設定してくださいとお願いして回ったかというと、全くそうなっていない。
例えば台湾に行って、台湾の銀行に円のクレジットラインを設定したいと申請すれば、日本とほとんど同じ金利でラインを設定することができる。しかし、日本の企業でそういう行動をとったところはほとんどない。
三つ目の銀行の貸出金利についても、九一年当時のFRB議長グリーンスパンは、あまりにも景気が悪くなったために、短期金利を三%まで下げた。しかし、銀行は自己資本が不足しているからカネを貸せないわけで、そのような状況下では、中央銀行がいくら金利を下げても、銀行が貸せる金額は限られていた。
ところが、借りたい企業は数多く存在していたためそこで資金の争奪戦が起き、中央銀行が短期金利を三%まで下げたにもかかわらず、銀行の貸出金利は六%、七%とどんどん上がっていった。その結果、銀行は、白分たちの資金調達コストは三%なのに貸し出しは六-七%で貸せることになり、三-四%ポイントの利ざやを稼ぐことができた。それを当時のグリーンスパン議長は三年続けた。
この利ざやを三年続けるということは、銀行はそれだけで総資産の一二%分のおカネが利益として入ってきたことになる。銀行の自已資本は、総資産の八%分なくてはならないというなかで、総資産の一二%分のカネが入ってきたのだから、銀行は一気に元気になって貸し渋りの問題は解消され、九四年からアメリカ経済は回復に向かって動き出した。
ところが日本では、二〇〇五年に経済が回復に転じるまで、銀行の貸出金利は下がりっぱなしで外銀のシェアは全然増えず、社債残高は減少中と、当時のアメリカとは全く逆の事態になっていた。
銀行問題が日本経済のボトルネックだったら、絶対に起きないはずの出来事が起きていたのである。これらの現象は、日本経済の抱えた問題が構造問題でも銀行問題でもなかったことを示している。 (P7〜P13)
(私のコメント)
私は日本の失われた15年の実態を一番的確に捉えているのはリチャード・クー氏だろうと以前にも書きましたが、株式日記でもリチャード・クー氏の本が出るたびに株式日記で紹介してきました。ところが日本のテレビではリチャード・クー氏の財政政策は評判が悪く、最近ではほとんどテレビで見かけることが無くなってしまった。
以前は榊原英資氏との討論などで火花を飛ばしていたのですが、小泉内閣になってからテレビからパージ(追放)されてしまった。財務省の財政再建路線と真っ向から対立する理論であり、財務省の役人達に阻害されてしまったのだ。
株式日記では財政再建で歳出を減らせば景気が落ち込んで税収は減ってしまい、かえって赤字は増えると指摘してきましたが、りそな救済以降の株価の回復と企業の業績回復で税収が伸びた事で、景気回復こそが財政再建の切り札である事がようやく分かってきたようだ。
リチャード・クー氏の本でも財務省に呼ばれてレクチャーしたら財務省の役人達もようやく理解してきたようだと書いている。リチャード・クー氏の財政出動論は最初から終始一貫しており、政府の財政出動がなければ今頃は日本経済はクラッシュしていた事だろう。
『陰と陽の経済学』でも書かれていますが、失われた15年で1500兆円もの資産価値が失われて、土地などを担保に借りていた日本の企業はバランスシート上で債務超過の危機的状況に追いこめられて、企業は必死になって一斉に借金の返済に邁進した。
だから日銀がゼロ金利にしても借り手は無いわけで、普通このような事は経済理論上ありえないことだ。日銀が量的緩和で当座預金に残高を積み上げても借り手がないわけだから事態は変わらなかった。
リチャード・クー氏によればようやく企業もバランスシート上の問題もなくなり、預金高を増やしているところが増え始めて借り入れを増やし始めた企業もあるということだ。つまり失われた15年というのは、それだけ借金の返済にかかったということであり、バブルまでに借りられた長期ローンは30年物が多いからバブル崩壊の影響を完全に脱するにはあと15年はかかる。
アメリカの大恐慌も金利が完全に元に戻ったのは30年後であり、アメリカの大恐慌もバランスシート不況だったのだ。もし株や土地などの暴落が半分程度だったならばバランスシートも危機的状況になる事はなかっただろう。ところがアメリカの大恐慌も株が十分の一に下がり、日本のバブル崩壊も土地などは十分の一に下がった。
大蔵省はバブル潰しのために総量規制や税制の改正などを行なって土地の値段を暴落させてしまった。半分程度ならまだしも十分の一までしてしまったのだから大蔵省の責任は大きい。その結果、日本企業の多くが債務超過企業となり借金の返済に追われる事になった。
借金の返済が行われるということは、それだけ信用が収縮する事だから、その分をどこかで補わなければならない。それが国の財政出動であり国債の700兆円の残高はもっと多ければ信用の収縮はもっと少なくて済んだはずだ。
日本のバカな経済評論家やエコノミストは財政赤字で日本は破綻すると騒いでいますが、経済の事がぜんぜん分かっていないから騒ぐのだ。むしろバブル崩壊後の1500兆円の穴を日本企業は企業収益や資産処分で埋めてきた経済力はすごいものだ。
アメリカのハゲタカたちは日本を韓国のようにIMFの管理下において日本経済を乗っ取ろうとしてきましたが、むしろアメリカ経済が先にクラッシュしそうだ。日本は超低金利で貿易収支も黒字ですが、アメリカはドルが暴落して金利が急騰して株や不動産は暴落しておしまいだ。
『陰と陽の経済学』は日本のバブル崩壊とアメリカの30年代の大恐慌のことを知るには絶好の書であり、財務省の役人達もこれを読んで勉強して欲しいものだ。ネット上で『陰と陽の経済学』の書評などを探しても触れているブログは数えるほどしかなく、日本のブロガー達の知的レベルは低い。
リチャード・クー氏の財政出動論や日本の超低金利の意味を私はすぐに理解したが、財務省の役人達も経済評論家やエコノミストもジャーナリストもみんな理解してこなかった。どうして日本はこれほど知的レベルが低いのか? ゆとり教育などで分数も分からない大学生が激増している。本も一冊も読まない人が多くなって、リチャード・クー氏の本を読んで理解できる人は少ない。日本人の知的な劣化がバブルの崩壊をもたらしたとも言える。