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(回答先: <浜岡原発訴訟>「1、2号機停止を」東京高裁が和解打診へ (毎日新聞) 投稿者 クマのプーさん 日時 2008 年 9 月 02 日 18:22:48)
http://www.news.janjan.jp/living/0711/0711256223/1.php
2度目の「破局」に立ち向かう 浜岡裁判原告
葛西伸夫2007/11/26
浜岡原発差し止め訴訟の原告団長・長野榮一さん(86)には昔、出撃直前の軍艦が故障で一命をとりとめた思い出がある。敗戦の破局は身に刻んだ。しかし、原発事故の「破局」だけは絶対に招いてはならないと、控訴審に向けて覚悟を新たにしている。
1ヶ月前の10月26日、「浜岡原発運転差し止め訴訟」は原告の訴えがほぼ完全に無視されるというかたちで棄却された。必ず来る「東海地震」の予想震源のど真ん中にある原発を止めろという訴えは5年近くにわたって争われ、たった10秒で退けられた。
この判決は中越沖地震による原発被害が明らかになってゆくなかで社会の関心を集めた。が、原子力という国策を相手にした裁判に勝てるわけがない、「やっぱり」、という国民の諦めにも似た声の中、「ニュースのひとつ」として消費されていった。
1か月前、敗訴の判決を受け、怒りのコメントを述べた際の長野さん(静岡地裁前で)
しかし、原告団は判決後即刻控訴し、すでに次の戦いの準備を始めている。その1人が、原告団の最高齢者としてマスコミの話題となった長野榮一さんである。現在86歳。
原発のある御前崎市の北東に隣接する牧之原市で暮らす。隣町に浜岡原発が建って、つねに危機意識を抱いていた。あれよあれよという間に原発は増設され、5号機の計画が持ち上がったとき、ついに住民運動のネットワークを結成した。阪神淡路大震災の2年後だった。それが今の裁判の原告としての立場につながる。
判決直後の記者会見では「どうにか自分の目の黒いうちに原発を止めたい」と話した。しかし、「目の黒いうちに」など、まるでジョークのような強健ぶりだ。見かけも話し方も行動力も、86歳とはとても思えない。携帯電話やパソコンでインターネットやメールを使いこなし、車も運転する。「超人的」といっても過言でない。
静岡地裁で判決を聞いた後、私は長野さんの運転する車で浜岡原発のある御前崎に向かった。5歳年下の夫人も一緒だった。その車のなかで印象的なエピソードををうかがうことができた。
長野さんは第2次大戦で戦艦「長門」の乗組員だった。敗色が濃厚となった1945年春、突如、戦艦「大和」を中心とする艦隊による「沖縄突入作戦」に動員された。乗艦するのは航空母艦「天城」だった。
そのころの日本には飛行機もパイロットも残っていなかった。そんな状況での空母の出撃とは、ただ飛行甲板を空に晒して米軍機に爆弾を浪費させるだけの役割である。長野青年にとっての死刑を意味した。
出撃の直前になって、「天城」の動力機関が故障した、という情報が入る。出撃は取りやめとなり、乗組員たちは呉軍港に取り残された――、というのである。
長野さんは「真実は分からない。けれども今になって思う。『天城』の故障は、誰かの意図によって、あまりに多大な無駄を出さないため、軽い故障でも出撃不可能のように大げさに報告されたか、あるいはまったくの嘘だったのではないか」と語る。いずれにしろ、そのことで長野青年が命を失わずにすんだことは、間違いない。
ところで、現在の日本の原子力政策は、戦前の政府・軍部の失政になぞらえられることがある。それはいま日本が、世界じゅうが既にあきらめた「核燃料サイクル」を、ただ1国、具体的に推進していることに象徴されるように、先行きのない原子力政策を推進しているからである。
とりわけ、その要となる六ヶ所再処理工場や高速増殖炉「もんじゅ」は、戦艦「大和」にたとえられるだろう。時代の空気が読めず、当時とっくに時代遅れだった大艦巨砲主義にとらわれ、巨額の国費を投じて建造された世界最大の軍艦だった。
「大和」は世界最大の巨砲の活躍する場も与えられないまま、「沖縄を救え」などという心にもない美辞で飾り立てられ、東シナ海に沈められたのである。帰れない運命と知れている3,000余名の仲間を詰め込んだ「大和」の後ろ姿を見送った長野青年は、その数ヶ月後、日本の「破局」を見ることになる。
しかしその「破局」の後には、とりあえずの「再生」があった。長野青年には運命が繋いでくれた命を元に、60年以上この国で生きる人生があった。
一方、原子力事故による破局に再生は無い。あっても恐らくは人類の歴史を超えた時間が必要だろう。来るとわかっている地震の震源直上に稼働する原発を止められない日本。その状況を思い知るとき、この国の2度目の、そして今度は取り返しのつかない「破局」が見えてくる。長野さんの胸には「大和」の後ろ姿を見送った痛恨がよみがえる。それは、なんとしても浜岡原発を止めなくては、という思いに直結する。
これから「浜岡裁判」は舞台を東京高裁に移して続けられる。もちろん、長野さんはいつでも東京に出向く覚悟だ。ただし交通費が格段にかさむ。それだけを嘆いておられた。
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