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(回答先: 青森・六ヶ所村核燃料再処理工場は必要なのか=放射能汚染反対の抑止力はマスコミへの企業広告(中)(PJニュース) 投稿者 クマのプーさん 日時 2007 年 12 月 05 日 19:18:11)
http://news.livedoor.com/article/detail/3393709/
2007年11月18日12時00分
市民のデモ行進は拳を突き上げ、シュプレヒコールを繰り返すだけではだめ、と主張する田中康夫議員。(撮影:小田光康)
【PJ 2007年11月18日】− (中)からのつづき。青森県・六ヶ所村をいったいどれくらいの人々が知っているだろうか。筆者は旅行や別の取材でこれまで、六ヶ所村を数回訪れたことがある。「恐山のいたこ」と「大間のマグロ」以外、これといって全国的に知名度など無い下北半島。漁業と酪農業が主で、さしたる見どころなど無い荒涼とした地だ。明治維新後、会津藩民がこの半島に移され、自然環境が厳しく、塗炭の苦しみを味わったそうだ。
東北新幹線の終着駅で青森県の主要都市八戸から太平洋沿いをまっすぐ伸びる国道338号線をひた走ると、ネオンまぶしい巨大ゲームセンターのような電力会社の原子力発電PR館が突如として出現する。そこで、人々は原子力の村に来たのだと自覚する。このPR館がなければ、誰もが通り過ぎてしまうような土地柄だ。
昭和63年からこれまで、人口約1万1000人のこの村に約270億円もの電源三法の交付金が投下されてきた。これに加え、多くの原発・処理場がらみの利権話やさまざまな名目で支給されるカネもある。ほとんどの村の人々は何らかの形で再処理施設にかかわっている。施設に従事したり、施設を支える公共事業に携わっていたり、これらの人々を衣食住の各面でサポートしていたりと。
悲しいかな、六ヶ所村の人々、強いては青森県民は再処理施設に依存しなければならない構造の中にある。確かに原発・再処理工場施設に絡んで、さまざまな利権を漁(あさ)る薄汚れた姿もあるのだが、それだけではない。必要悪ともいおうか、施設設置を進めた国や電力会社が悪意を持ってしたことだとはいえない。大企業の工場や大都会の住民の電力需要をまかなうために、全国の貧寒村がにんじんをぶら下げられたトランプゲームに参加し、さまざまな思惑が入り交じる中、六ヶ所村がババを引いた、というのが実情だろう。
原発・再処理施設以外何も無いと言っていい青森県六ヶ所村に限って言えば、電力会社から政治献金などを受ける与党、電力会社から生活を保障される従業員に支持される野党も六ヶ所村の再処理工場問題では必然的に推進派に回らざるを得ない。再処理施設の問題を六ヶ所村の問題に封じ込めてしまうと、何ら解決策が見えてこない。
再処理工場とは経済・政治的に無関係だが風評被害などにさらされる危険のある青森県外の地域住民や、原発から生まれた電力で恩恵を被(こうむ)る国民ら、さまざまなステークホルダーを巻き込んだ議論しなければならない。これまで、政府自民党や国会の場では補助金の奪い合い合戦のような稚拙な議論に陥り、再処理工場の是非をめぐるラジカル(本質的)な討論には至らなかった。
六ヶ所村再処理工場問題の場合、構造的に反対派は難しい立場にある。ほとんどの人々は賛成派に回らざるを得ない立場にある。理由は「カネ」、そして「票」だ。身も蓋(ふた)もない話になってしまうが、これが貧寒村、六ヶ所村の現実だ。
このことは筆者が原発事故の取材をした石川県の志賀原発周辺、宮城県の女川原発周辺、福島県の福島第一・第二原発周辺の問題も同じだ。今年4月、東京電力福島第一原子力発電所を訪れたときの話だ。案内してくれた女性職員に原発の是非について尋ねた。「地元にいたいので、ここに就職させてもらいました。この発電所が無かったら、今のようにここで暮らせなかったと思います」と話してくれたことが、脳裏に焼き付いている。
六ヶ所村の放射能汚染物質を海岸から3キロ離れた場所から放出する計画の環境への影響は未知数だ。ここからは原子力発電所から排出される1年分の放射性物質が、たった1日で放出される。国や電力会社は放射能が海流によって希釈・拡散され、生態系に影響がないと主張する。木下デービッドさんが国側とこの問題について「放射能汚染の心配は無いのか」と話し合った際、担当者は「誰だってクルマの排気管に口を当てて、排ガスをすえば死んでしまうでしょう。そういう問題です」と一蹴(いっしゅう)したそうだ。
一時期、新聞社がサンマの焼き焦げに発ガン性があると報じたことで、サンマが食卓から敬遠される事件があった。大量に焼き焦げだけを食べ続ければガンが発症する危険性があるのだが、日常口にする程度ではまったく問題がない。毒性の定性的な問題ではなく、定量的な問題だということだ。
では、六ヶ所村再処理施設から排出される放射性物質はどうなのだろうか。「食べ物に対する安全性や致死量といったことについて、客観的な基準がないから両者の議論が平行線をたどっている。安全性でいえば基準をまず決めることだ。手順を追っていく必要がある」と河野太郎議員は考える。
「だまっている、中立公平でいることとは、(再処理場)推進派側と同じだ」−−田中康夫議員は会合で、個人の確固たる意志表明が重要だと強調した。ただ、市民運動のやり方には注意が必要だ。ちまたでは「プロ市民」という造語がある。ウィキペディアによると、本来は「自覚・責任感を持つ市民」という意味だったようだが、実際には「一般市民を装い市民活動と称して政治的・営利的な活動を行う者を指し、批判または誹謗中傷する目的で使用される蔑称だそうだ。
六ヶ所村処理施設反対運動がこうした「プロ市民」によって本来の目的がねじ曲げられ、あらぬ方向に蛇行してしまったのでは元も子もない。「デモ行進でいきおいづけようと拳を挙げ、『原発反対!』とシュプレヒコールするばかりでは、デモを見ているひとは引いてしまいます。見物人に具体例などを示して共感してもらうことが大切です」と田中康夫議員は強調する。
河野議員も従来の訴え方に疑問を呈する。「残念ながら、国や党に署名や請願書を持ってきていただいても、ほとんどがお蔵入りするばかりです。それよりも、丁寧に情報発信していくことが重要だとおもいます」。
六ヶ所村再処理施設の問題は多数決で簡単に解決するような問題ではない。そこにはより多くの人々がこの問題に意識的にかかわり、それぞれがよく考えるような環境を作り出すことがまず必要だ。政治学的な文脈では「Vote(投票)」から「Voice(討議)」への民主主義の転回が叫ばれている。六ヶ所村再処理施設問題でも、例えば、このPJニュースといったネット市民メディアという空間で、異質な他者の意見を許容しつつ、議論を重ねていったらどうだろうか。【了】
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