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(回答先: <福島第1原発>78年に臨界事故か 東電は国に報告せず【毎日】 投稿者 へなちょこ 日時 2007 年 3 月 22 日 21:54:03)
東電・福島第1原発でも78年に臨界事故か
東京電力は22日、福島第1原子力発電所3号機(福島県)で、1978年の定期検査中に臨界事故が起きていた可能性が非常に高いと発表した。
停止中の原子炉から、出力をコントロールする制御棒が5本脱落した。臨界は最長で約7時間半も続いたとみられる。事故は原子炉等規制法に基づく報告義務の制度化直前に発生しており、国に報告していなかった。運転日誌に事故の記録がないことから社内でも隠ぺいされた可能性が高い。
3号機の臨界事故の後にも、5号機で79年に、2号機で80年に制御棒1本が脱落するトラブルが立て続けに起きていた。既に判明した福島第2原発3号機と柏崎刈羽原発1号機と合わせ、東電の制御棒脱落トラブルは計5件となった。
臨界事故があったとみられるのは78年11月2日。原子炉圧力容器の耐圧試験の準備中に、制御棒137本のうち5本が30〜90センチ落下した。うち4本は隣り合っていた。ほかの脱落トラブル同様、制御棒駆動用の水圧調整弁の操作を誤ったらしい。
午前3時ごろから中性子の増加が始まり、緊急挿入機能を利用し、制御棒の再挿入を終えたのは午前10時半ごろだった。臨界時の出力は運転時の0・01%程度だったとみられる。中央操作室では警報が度々出ていた可能性が高いが、最長7時間半も臨界が続き、収拾策が遅れた理由は不明。作業員の被曝(ひばく)や外部への放射能漏れはなかった。
1999年に北陸電力志賀原発1号機で起きた臨界事故の発覚を受け、東電も社内調査を進めていた。社内にほとんど資料は残っていなかったが、退職社員の証言と原子炉を製造した東芝の資料から判明した。
東電の小森明生・原子力運営管理部長は「社内に残る資料では臨界があったと確認できないが、東芝の資料などから判断すると、技術者としては、臨界というレベルだったと考えている」と話している。
原子炉が制御不能の状態で核分裂の連鎖反応(臨界)を起こす臨界事故は、早期に停止させないと、放射線や熱の放出で人体や機器の損傷を引き起こす可能性がある。志賀原発の事故で臨界状態は15分しか続いておらず、短時間に大量の放射線を出す臨界事故が7時間以上も続くのは異常な事態だ。
(2007年3月22日21時54分 読売新聞)
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