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<福島第1原発>78年に臨界事故か 東電は国に報告せず
3月22日18時1分配信 毎日新聞
東京電力は22日、78年に、定期検査で停止していた福島第1原発3号機(福島県大熊町、沸騰水型、出力78万4000キロワット)で、臨界事故が生じていたとみられると発表した。臨界は最大7時間半続いたとみられ、判明している中では日本初の臨界事故だったことになる。
停止中の原子炉から、炉のブレーキである制御棒5本が抜けて臨界に達していたと考えられる証言やメモが、元発電所員や、原子炉メーカーの東芝などから得られた。東電は事故を国に報告していなかったが、当時、法律上の報告義務があったかについては、経済産業省も文部科学省も分からないという。
同原発ではさらに、79年2月12日に5号機、80年9月10日に2号機で、いずれも定期検査で停止中に制御棒1本が抜け落ちていた。原因は3件とも、北陸電力志賀原発1号機の臨界事故などと同様で、開けるべき弁をしめたまま作業していたためとみられるという。
東電の調査結果を総合すると、78年11月2日午前3時ごろ、137本あってすべて完全に炉に挿入されていた制御棒(長さ3・6メートル)のうち5本が、全長の12分の1から4分の1にわたって抜け落ちた。発電所は当時、各制御棒の駆動装置の弁を閉める作業をしていた。この際に、事前に開くべき別の弁(逃し弁)を閉じたまま作業したため、駆動装置が異常作動したと推測されている。
炉内で核分裂反応が始まり、発生する中性子の量が上昇。東電の車内メモによると、少量の中性子を測るための中性子測定器が測定限界値を記録する状態が、約7時間半にわたって続いていた。午前10時半ごろ、運転員が各制御棒の緊急挿入装置を作動させ5本を元の位置に戻したらしい。
当時、原子炉の本体(圧力容器)のふたは閉まっていたがその周囲にある格納容器のふたは開いていた。被ばくの有無は調査中だという。【高木昭午】
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