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『ヤマザキ、天皇を撃て!“皇居パチンコ事件”陳情書』奥崎謙三/三一書房‘72年を読んだ。(キッカケは鬼塚氏の著作)
一つの純な魂の記録である。別に高貴なとか高尚を直ちに意味しない。素朴で土臭く、そして極めて論理的な思考と行動である。
奥崎は小学校を出た後、いくつかの職業を転々とし、やがて上等兵(工兵)としてニューギニアの山中に赴く。生来、無垢の義憤が抑えがたく、堪忍袋の緒が切れると上官であっても殴り、制裁を加えるということを幾度かする。しかし、不思議なことに行動を咎められたり、陰湿なイジメに合ったりしない。まわりからは一目置かれているようだが、本人はそれを誇るでもない。日常は坦々とした行動をとる。
敵は海岸でバレーボールに興じる余裕があるのに、こちらは上陸直後から部隊の移動と敗走に明け暮れる。ジャングル内を泥まみれになって這いずり回る。食うや食わずに。多くの日本兵が風船のごとく膨らんで死んでいるのを目撃する。なかには山豚に食われて白骨化しているものも何体か見た。塗炭の苦しみに耐えかねて敵に銃殺してもらうため、敵地に足を踏み入れるが、捕虜となってやがて帰還する。
沢山の日本兵と戦友に無念の死をもたらした元凶は天皇であると気づき、激しい憎しみを持ち殺意を抱く、そして密かにそれを実行したいと思う。しかし、生来の義憤から帰国の船中や帰国後も事件にまきこまれ、悪徳あっせん屋に制裁を加えるつもりが死に至らしめてしまい、10年の刑を食らう。獄中での沈思黙考から天皇を殺しても狂人扱いされるだけで、「天皇や天皇的なものが多く存在する」土台が問題だと思い至り、もっと効果的な事件を起こそうと企てる。
昭和44.1.3、奥崎は新春皇居参賀の群集にまぎれて、バルコニーの天皇めがけてパチンコ玉を数個ゴムパチンコで撃った。
パチンコ玉に力をこめて「おい山崎! 天皇にピストルを撃て!」と叫んだ。周囲を騒がすために仲間がいるかのように見せかけたのだった。山崎というのは戦友であり、優しく「燈明な光が宿る」(井出)山崎上等兵だった(現地で没したと見られる)。
この事件で奥崎は1年10ヶ月の長期拘留と1年半の懲役を食らう。
作家・井出孫六の解説がいい。
井出「この国の一億の国民の誰が、思惟と行動の二つの次元で、元兵士奥崎謙三のように、かつての戦争責任の問題をつきつめて行ったものがあるであろうか。その意味において、元兵士奥崎謙三の陳情書−『私はなぜ、天皇にパチンコでパチンコ玉を射ったのか?』は、日本人の精神の営為のひとつの金字塔であると、私は低頭するのである。」
奥崎謙三は「求道者」(井出)のごとく物事をつきつめていく。変な知識に汚染されていないためか、贅肉(ぜいにく)や虚飾がそもそもなく、思考がプリミティブで直截である。だから、曇りのない正常な思考が出来るのだと思う。
豊富な知識で頭でっかちになった知識人たちの方が狂った思考しかできなくなっているのだ。