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(回答先: 【公教育の再生】を真剣に考えよう。 投稿者 あっくん 日時 2008 年 3 月 16 日 10:37:48)
学力で分けようとすると、公立か私立かということになっている。
「学力低下論」に煽られ、中途半端な学力でも背伸びして私立を目指す。
無理して子どもは入学できたとしても落ちこぼれやすくなり尊厳が奪われる。
私立独特の教育の良さも台無しになり学校のレベルが低下した。
要するに中堅私立は公立化してきて価値があるのか怪しいにもかかわらず存在している。
ただし私立を選ぶことは公立に期待が持てない以上、仕方ない。中途半端な層は思い込まされてるだけというのもあるけれど。
私立自体を非難するのではなく、【公教育の再生】に目を向ければ自然と公立を選択しやすくなる。
公立にも私立にも期待が持てなくなってきて、ますます二極化が進んできているようだが
私立バッシングをしても結局のところ余計に格差を感じさせるだけでお互いにとって有害のようだ。
選別という議論自体が選別を意識させるのをどのように緩和することができるだろうか。
エリートと言われる人間を心が歪んでいると端から決め付ける態度のほうが冷静に見ると冷酷非道であるとも言える。
彼らはどこか傷ついているようで寂しさを感じる。エリートという見方は相手への想像力が欠けているのではないか。
早い段階、いわゆる小中学生の段階で私立に行くとエリート意識を持った者ばかり溢れるというのも穿った見方に過ぎない。
むしろ、公立上位高→難関大、中堅私立高→難関大といった受験傾倒に比べ柔軟性を持っている。
どちらかというと問題なのは受験に傾倒し過ぎることと、同質集団とばかり交流すること。
受験傾倒への対策は受験勉強しながらも単純な答えを出す授業だけでなく考える授業を続けることが大切である。
同質な集団とばかり交流することへの対策は異質な集団と交流を増やすことだ。
異質な集団と接しなければ視野狭窄になり自分の世界と違う人間に対し排他的になる。
公立にしても私立にしても、もっと異質な集団と積極的に関わることで階級意識についても緩和される。
公立と私立の学校同士の交流は難しそうだが、地域社会を通しての活動では交流できる。
社会において大人は大人の世界、子どもは子どもの世界のみでの交流に徹してしまい世代間が断絶するのは怖い。
社会や学校だけに限らず、親の世界と子どもの世界が違って、家族間でさえ利害が対立してしまうこともあり得る。
この流れを止めるにはいろいろな人間と関わることだ。人種の壁なども契約関係があればお互い承認できる。
こういう共生の知恵を身に付けるためにはコミュニケーション技術を学ぶのが大切である。子どもも大人も関係なく。
身近な社会であなたの生きてきた経験をどんどん子どもたちに伝えていってください。インターネットでもいいけど。
ただし、どうすれば成功できるかなんて答えの決まった時代は既に終わってるから
どちらかというと成功物語ではなく失敗経験のほうが面白く聞けて参考になるんだけどね、ボクの場合(^−^)