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(回答先: 生徒を能力別に分けて教える事に対して皆さんはどう思われますか? 投稿者 ワヤクチャ 日時 2008 年 3 月 15 日 12:27:09)
公教育で学力別に分けて教えるのは反発もあり難しいと考えています。
習熟度を考慮するなら上位層にも下位層にも通常授業以外での対応をするところでしょう。
どんどん進みたくて自主性があり理解が高い子どもには受験に特化した講座を
低価格で提供するなどが考えられるけれども、あくまで通常授業の範囲外で十分です。
自分の力で選びとる能力を身に付ける授業さえしていれば、どうすればいいかは自分で判断できます。
別のシステムができればそちらを選択することになる。そういう人間を育てていく教育をすればいい。
これからの何が正解かわからない時代においては、選択能力が生きていく上で誰にとっても重要になるのです。
まずは下位層への補習のほうが急務になります。
最低限の学力が無いと尊厳を失い、状況が悪化する怖れが高いし
自分がまわりにとって必要であるのだと感じられる可能性を奪ってはいけません。
できるなら中学入学前の段階で対応しておきたいところです。
教師や親に任せるだけではなく地域社会が協力します。
無責任なのにクレームはするというただの「住民」が溢れている現状を打開するためには
【公教育の再生】を真剣に考えていくのが大切です。
積極的に地域社会と学校が連携を取ることで、子どもはもちろんのこと大人にも成長の機会を与えます。
子どもへの教育を考えることで、自分にとって住みやすい町になるのです。
最初から関わりたくない、どうせ駄目、と最初から諦めてる大人に子どもはついて来ません。
本当にあなたは真剣に子どもと向き合っていると言えようか。
子どもを理解できないからと自分に都合が悪いものを何でも禁止して罰すれば解決すると言うのは納得されないし
携帯やテレビなどのメディア自体が悪いのではなく関わり方が問題であり家庭で管理すればいいでしょう。
自分の力で管理する能力を身に付ければ一生物だし、ここでも選択能力が大切になるわけです。
授業に対し子どもが退屈することは簡単にどうこうできるものではないから強制的にやるのは反発を招きます。
内容については考えさせる授業を増やし、考える楽しみを与えるのが大切です。
授業時間は長くていいとさえ思っています。ただし、考える授業を増やすこと。
いろいろな人物の役割を演じる劇や店長になりきるロールプレイングなどで他者への想像力を喚起する方法もあります。
以前のように特定の正解を素早く処理する能力より、答えが無い世の中を前提として自分に納得できる正解を見つけ出す能力。
この能力を身に付けるには、とにかく考え続けるしかありません。そこに動機を見出す努力をするのです。
なかなか上手くいかないかもしれないけれども簡単に上手くいかないのは社会に出ても同じこと。
試行錯誤の経験が大きな糧となり将来に役立ちます。大人も教育を試行錯誤して徹底的にやっていきます。
こうすることに楽しみを見出せれば、いろいろな人間が教育に興味を持ち新しいアイデアもどんどん出てくる。
鬱屈した社会から開放もされることに繋がり、社会も活性化していくのではないですか。
やはりそれには地域の大人の参戦が欠かせません。そうなると面白いことも増えて嬉しいです。
どんな人間でもいい。肩書きなど捨て去り、自分の人生を熱く語ってくれる人間には耳を傾けたくなる。
教師とのタテの関係、子ども同士のヨコの関係以外に、ナナメの関係を重視すれば互いの負担も軽くできます。
子どもも授業がつまらないと嘆いてばかりでは無く、自分たちの力で面白い授業を作り出す必要もあるが
協力者が居ないとなると難しいし、最初からやれといわれてもどうしたらいいかわからない。
【公教育の再生】を本気で考えよう。大人への反発は期待の裏返しでもあるのさ。