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(回答先: Re: そうですね。意欲があると認められた子は偏差値が高いクラスに入れるという事ですね。 投稿者 彼岸楼 日時 2008 年 3 月 16 日 02:59:56)
http://www.news.janjan.jp/living/0611/0611295581/1.php
教育の目的は生徒のため〜フィンランドの教育制度から 2006/11/30
安倍内閣は、国の根幹である教育基本法「改正」案を「新教育改革法案」として、早々と衆議院で強行採決した。「時間をかけた、審議はしつくした……」など、採決を強行した理由を挙げている。一方テレビのニュースやその中での国民の声(インタビュー)を聴いていると、法案の中身については知らないことが多く、伝わっていない。その中での強行採決に、何か「別な目的」を持つ不気味なうねりのようなものを感じる。
先日、北海道高等学校退職教職員の会・上川支部が、「フィンランドの教育と日本の教育基本法の違い」を考えてみようという試みで、講演会を開催していた。講師は札幌で高校教師、その後大学の非常勤講師などを経て、今なお教育に携わっている、宮田汎氏。
講演時間は(スライドを含め)1時間少々だったが、先に講演を聴いての感想をいうと「フィンランド政府は教育に対し、徹底して地方自治体や学校の自主性に任せている」ということだった。他のことがらを含め、その内容には驚くばかりである。
講師の宮田氏は、昨年8月、1週間にわたってフィンランドの教育現場の視察をしてきた。最初に首都ヘルシンキの学校を見たかったようだが、これまで各国からの訪問があまりにも多かったことから、今はお断りしているとのこと。そのため、学校の視察は郊外のエスポーという町の「基礎学校(ペルスコウル)」を視察したという。宮田氏の講演内容を紹介する。
◇
今回の視察で初めに訪ねたのはヘルシンキにある「国の教育委員会」。フィンランドには、日本の文部科学省にあたる「教育省と教育委員会」がある。「教育省」は、政策をたて予算と法律の整備を担う。「教育委員会」はカリキュラムをつくり、授業方法の開発や評価の研究を担う。カリキュラムといっても大まかな概略で、具体的には地方地冶体、学校、教師にまかされている。
フィンランドでは「基礎学校」として、日本での小・中学校9年を一貫教育で義務教育としている。例えば、国語の「教育カリキュラム」を見ると、1、2年の中で14単位、3、4、5年で14単位、6、7、8、9年で14単位と、卒業までに合計42単位取得するようになっている。この中で、子どもたちや学校の状況に合わせて授業を進める。
例えば1、2年では、その2年間のなか自由な時間割で「14単位の授業を済ませればいい」という考えにたっている。日本のように細かく時間割が決められ、あてがわれた時間が来ると、どんどん次に進んでしまうことはない。
また生徒本人が、9年「基礎学校」で学んだあと、高校へ行くのに学力が足りないと判断すれば、もう1年無料で補習を受けることもできる。そのことでみんなより1年遅れても、「落第」という意識はないようだ。
「教科書」において国の検定は1992年に廃止され、教師がいくつかの教科書の中から良い教材や内容を選択する。例えば、先生がこの教科書はここがいい、こっちの教科書はここがいいというふうに自由に選択ができ授業に役に立つように構成できる。当初は、先生にもとまどいもあったらしいが、かえって自覚も高まり、意欲を生んだそうだ。
「習熟度制度」について、日本では「できる子にはよりできるように、できない子にはそれなりに」という発想があるようだが、フィンランドではそういうことをやっていても全然効果がないと結論づけている。できる子にもできない子にも全くプラスにならないことが、学問的にも立証されていて、教育研究者による研究結果もあるとのこと。
日本ではまだ「習熟度制度」をとっていることについて、「まだ日本は行っているのか?フィンランドでは過去のもの、1985年に廃止した」と、笑っていたとか。
「予算」をつける考え方も日本と全く違う。日本では足立区に見られるように「駄目な学校の予算を減らす」などということはしない。反対に、1つの学校で学力が落ちたとすると、そこに多く予算を配分し学力が上がるよう配慮する。
フィンランドの教育の基本は「教育は福祉」「平等と共存」が柱とのことである。
しかしそのフィンランドでも、教育の形がこのようなシステムになったのは10年前とか。それ以前は日本と同じような教育方針だった。それを変えた背景に、ソビエト連邦の崩壊があるらしい。それまで国は、輸出などソ連にかなりの部分を依存していた。それが一挙に崩れてしまった。
そこで国の出直しを考えたとき、政府は「教育」を最優先と位置づけた。フィンランドの過去は、戦争で幾度となく「侵略や他国による支配」などに脅かされてきた。よって数ヶ国の人種が住んでいて、それだけ言葉の違いもある。そこで外国語の授業を多く取り入れるようになった。例えば、英語は「基礎学校」の3年から、ドイツ語は6年からなどである。
しかしフィンランドでも問題がないわけではない。今の日本ほどひどくはないが、自殺する生徒もいるという。他に麻薬などの問題や、離婚が多いので情緒不安定な子が多くなってきている。国の台所事情も段々厳しくなり、予算減で地域のクラブ活動が減ってきているとか。それでも「教育の目的は生徒のため」という、フィンランドの教育方針は揺らいでいない。
◇
講演を聴いてから数日、日本政府の対応を見ていると、起きたこと(いじめ・自殺など)への「対処療法」を行っているにすぎない。これでは教育の現場は悪化するばかりだろう。
そのうえ安倍内閣は、自分が公約を掲げたからといって、強引に教育基本法「改正」案成立に邁進している。その内容は、「お国のための子ども」を育てるのであって、フィンランドのような「教育の目的は生徒のため」という考えにはほど遠い。
今日のマスコミは、自民党の「復党問題」でおおわらわである。その一方で政府は「安倍内閣での、新・教育基本法成立」に向かって走り続けていることを、我々国民は見失わないよう心がけていきたいものである。
参考:
講演「フィンランドの教育に日本の教育基本法を見る」
日時 2006年11月14日(火曜日)18:30分
場所 旭川市道北勤医協一条クリニック3階会議室
参加 97名
(岩崎信二)