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(回答先: そうですね。意欲があると認められた子は偏差値が高いクラスに入れるという事ですね。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2008 年 3 月 15 日 18:23:27)
ワヤクチャさん、こんにちは、横レスにて失礼いたします。
悟り兄さんには割り込みをお詫びいたします。
>クラス編成を意図的に行う場合の考え方ですね。このテーマについて考えようと思いました動機は大阪の橋下知事が能力別クラス編成や進学率が高い公立高校へは学区に関係なく受験できるようにしようと提案している事に対してどう考えたらいいのかと思ったという事です。
これまでの橋下氏の言動からみて橋下知事の提案は氏に特有の選別主義を表象しているだけのことであり、そこに教育本来のあるべき姿を見据えた展望を見出すことは不可能でしょう。橋下知事の見識とはその程度のものです。
>ところで今現在のクラス分けはどのように行われているのでしょうか?何か考慮されている点はあるのでしょうか?もし学校関係者の方なのでしたらお聞かせいただきたいのですが。
能力別クラス編成や学区外受験に関してはここ数年の間に東京都はじめ関東の各県では著しく進展している実状があります。高校受験時においてすでに理科系大学受験のための特別クラスが設営されるなど、また学区の流動化が進んで往年の進学校の都立日比谷や都立西の人気が復活して来ています。最近では両校共に二桁台の東大合格者数を維持するようになっている模様です。
本来は、社会の階層構成上の問題を抜きにして教育問題を捉えることはできないと思いますが、高学力を身につけたいとする純粋な向学心を前提に、それに対応するためのシステム(切磋琢磨を涵養する)や機構があってもよいのではと考えます。その上で、高学力者が多くの平均及び平均外の学力者の及ばぬところを補完し、またそのためのシステムを構築していくという態勢が整備されるならば、単なるエリート主義の現れではない、或る種の理想的な社会の在り方であると謂えるかも知れません。
しかしながら、こうした教育制度改革の、さらにその先にどんな社会があるのか想像が難しいのですが、現状ではやはり選別化が進行してくことだけは避けられないような気がしてなりません。結局は牧童頭と牧童達と羊の群とで構成される人間家畜牧場(=社会)が現出することになるのではないか、そんな懸念が脳裡を掠めてしまいます。
でも、どうにかせんと、あかん!←(この大阪弁で合っていますか?)
Auf Wiedersehen.