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(回答先: 「人の命を奪う刑罰」は残虐な刑罰ではない? 投稿者 ダイナモ 日時 2007 年 12 月 22 日 10:07:55)
ダイナモさん、こんにちは。
横レスにて失礼します。
>殺人が残虐な犯罪であると同様に、死刑も残虐な刑罰であると言うことができます。ここには被害者と加害者の人権は共に尊重されなければならない、という基本的人権の考えをもとにしたものです。
私は、日本国憲法13条[すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。]に示されているような人権思想に基づく死刑廃止論を支持しています。公共の福祉は個人の人権に優先するとの解釈を援用して死刑制度の存置が唱えられます。けれども、憲法の前文では「個人の尊重」を基本理念としており、これは結果責任を問うものでも、それに纏わる制約を予期しているものでもありません。例えば犯罪者を死刑にしなければ直ちに他の生命に危機が及ぶ、すなわち公共の福祉に反するとまでは謂えないのであり、この制約限界を超えてしまうことになる死刑制度は明らかに憲法の基本理念に違背するものです。
>私はこれらの主張に加えて、「人の命を奪う刑罰」は憲法で禁止されている残虐な刑罰であるがゆえに廃止しなければならない、という主張を行なうべきと考えます。さらに言えば、死刑廃止の最大の理由として主張すべきです。
死刑が、「人の命を奪う」故に残虐な刑罰であると断定するのはやや無理があるような気がしますし、何かすっきりしない感じを受けます。それはさておき、死が到底受け容れらないものであることには被害者にとっても死刑囚にとっても何ら変わりがないと思われます。あらゆる犯罪が最終的には社会的問題に起因しているのであり、それへの対応を個の抹殺によって図ろうとすることは問題の根本的な解決に至るものではなく、却って問題の無視・湮滅の状態を継続させることになりかねないでしょう。敢えて謂えば死刑制度がこうした不条理を惹起するだけのものであるが故に廃止すべきであり、この主張は日本社会のみに止まるものではありません。
我々人間の存在様態の導かれるところは生きることに纏わる諸問題の解決にあり、すなわち突詰めれば人間に課せられた使命はこの世の不条理を無くすことにあると謂えるのではないでしょうか。それが同時に、自分自身が済われることにも繋がっていくのではないかと考えています。
また、会いましょう。