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(回答先: 「東京裁判史観」容認派の男のこっそりした言論すり替え事件! 投稿者 仁王像 日時 2007 年 10 月 12 日 20:05:51)
〈東京裁判は「法律」にも「正義」にも基づかない!〉
・東京裁判は、正式には「極東国際軍事裁判」という。国際法に基づく裁判ではない。連合軍最高司令官マッカーサー元帥の命令に基づく裁判である。
その唯一の法的根拠は、昭和21.1.19(1946年)に、マッカーサー元帥が発令した「極東国際軍事裁判所條例」である。帰国したマッカーサーは、上院で、「第二次大戦は日本にとって自衛の戦争であった」とはっきり証言した。また、トルーマン大統領に「東京裁判は誤りであった。あの裁判は戦争を防止するうえで何の役にも立たない」と告白している。東京裁判をやらせたのはマッカーサーである。全責任はマッカーサーにある。当のマッカーサーが、その後反省して、明白に誤りを認めている。東京裁判を考えるとき、まず、思い出しておく必要がある。
・パール博士は、学説を博引旁証し、緻密な論理を展開し、ついに「侵略戦争を準備し、またこれを遂行するということは、第二次大戦当時、犯罪ではなかった」ことを証明したのであった。
これで勝負あった。
パール博士は、「あれは、法律にも基づかない裁判である」「法律的概観はまとっているが、本質的には、執念深い報復の追跡である」と結論した。今や、パール博士の説は、国際法学会の定説となった。知らぬは日本人ばかりなり。
このように、法的に考えれば、誰にとっても、東京裁判は、言いようのない、途方もない「べらぼう」な裁判である!
出展;『封印の昭和史』小室・渡部/徳間書店‘95年
〔臭うぞう〜コメ〕
以前も指摘したが、教授は、師匠とする小室直樹氏をロクに勉強していない(あるいは物にしていない)典型的な実例である。換言すれば、戦後、占領軍によって実施された「ウォー・ギルド・インフォメーション・プログラム(戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画)」/(江藤淳『閉ざされた言語空間』)の残した遺産にすっかり篭絡(ろうらく)されてしまっているのだ。
前出の薄暗く屈折した(曲がりくねった)教授特有の議論に比べれば、在野の大学者・小室師匠の議論は、明快で力強く天気晴朗である。この「格」の違いは、やはり資質の違いから来ていると考えざるを得ない。
教授が今後、「東京裁判史観否定派」として偉そうに再登場するときは、ぜひ過去の言論をどう克服してきたのか、ご説明を願いたい。(もう一つの道は、過去の言論に頬被(ほおかむ)りしたまま、開き直り続けることであろう)。
教授の言論全体の中で、「核」と「東京裁判史観」問題は、決して小さな位置を占めるものではないだろう。国内言論の中では、中心的テーマに分類されよう。
「すべてを暴け、騙されるな!」という原理は、提唱者である教授自身にもブーメランのごとく返って来るのである!
〈参考;弟子も曲がりくねっている!〉
・Re.親分に習って、曲がりくねった屈折した議論 ← 小沢論文は憲法を楯に…
http://www.asyura2.com/07/senkyo42/msg/1157.html
投稿者 仁王像 日時 2007 年 10 月 12 日 20:11:01: jdZgmZ21Prm8E