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@ 「副島隆彦の預言者(近未来予測者)としての能力を、もう軽く見ることの出来る人はいない。あとは、私の物まねをする、おかしな連中が、ぞろぞろと出てくるだけだ。」「日本国民は、貧乏に耐えながら、健気(けなげ)に生きてきた、と言えるのだ。こういう国民には、天罰は落ちない。」(2007/07/28)
A 「『副島隆彦の中国研究』という形で、追々発表してゆく。一冊の本にもするだろう。」「私は、自分の眼力にますます、自信を持っている。」
「私、副島隆彦の厳格までの政治言論と、政治思想研究の正しさと優秀さに、何かケチを付けられる者がいたら、出てくるがいい。誰であっても、相手にしてやるだろう。」「副島隆彦の思想研究の進撃は、地道に着実に、進んでゆく。そして、中国研究でも大手をかけてやろうと思う。ひたすら孤立した、孤独な道を、全く恵まれない学問環境の中で、貧乏に耐えながら、弟子たちと倦まず弛(たゆ)まず続けてゆくだけだ。誰に遠慮することも無く誰れ憚(はばかる)ることもなく、学問と思想の王道を私たちは歩み続けます。」(2007/07/21)
B 「私は、この国の最先頭であり、私が、この世の(人間世界の)大きな秘密に、自分で気づいて、それで誰よりも早く騒いでいるのだから、それを、他の人たちが、そんなに、すぐに追いかけて来て、追いついて、そして、私と理解を共にする、ということが、そんなにあるはずがないのだ。私が、この国の先鋒隊であり、前衛なのだから、仕方がない。」
「これから先の近未来予測が立つ。そして、その予測(予言)を大きな処ではピタリと当てなければならない。私は、これまでずっとそれを当ててきた。副島隆彦は、これからいよいよ予言者(近未来予測者)として立って行く。」(2007/07/12)
C「私、副島隆彦は、デイヴィッド・ロックフェラーと、同格の頭をしているように、自分で鍛え上げたから、何でも分かる、と豪語する。私が予想、予言して、これまでに書いてきたことに、何か間違いがありましたか。」(2007/02/20)
http://snsi-j.jp/boards/bbs.cgi?room=sample1
〔仁王像コメ〕
この教授の自画自賛グセは以前からあった。著作物が内容の伴っている(と思える)時代には、別に違和感はなかったが、最近数冊の内容や最近のブログは先にも書いた通り相当アブナく、信頼度が著しく低下していると思う(匂うゾ〜)。アブナくなるにつれ自画自賛もドライブがかかって来ている印象がある。人気が急落してきていることに気づかざるを得ず、焦りがモロに出てきていると感じる。
いわゆる「しょってる」感じが子どもっぽく、歯も浮いてくる。@では唐突に、「天罰は落ちない」などと学問・サイエンスと無関係なリップサービスしている。根拠を明示しないこんなサービスを読者は「有難がる」のだろうか。ABCは、ほとんど「騙(かた)り」であろう。言論人は、コンテンツの内容で勝負する。教授は土俵外で盛んに力んでいる。
自画自賛が中毒化するとその快感から逃れにくくなるのではないか。自分のテリトリーで自賛している分には、誰からも咎められることはない。Aで「何かケチを付けられる者がいたら、出てくるがいい。誰であっても、相手にしてやるだろう」と言っている。信頼度が高かったときはフムフムを思っていたが(教授の本からは随分勉強させてもらったのだった)、今日もなお、このフレーズが繰り返され続けているのを見るのは無惨(むざん)だ。
別のどこかで言っているが、教授に近づいてくる学者・言論人はいないのだそうである。うっかり近づいてくると教授に「切り殺される」のだそうな。それは教授が「碩学」であり、相手を一発で沈められる力量があるからだと豪語している。教授は論敵に対して、「性格がゆがんでいる」という言い方を多用する。こんな本筋から外れた場外乱闘ばかりしている自分自身を疑うことはないのだろうか。いや、こんな立場から抜け出せない自分を情けなく感じることはないのだろうか。
教授は自分が孤立していることを自分なりに納得する理屈を拵(こしら)えて、読者にもそう思ってもらいたい。このエンドレスのジタバタ劇が(そう見える)、いつか報われるのだろうか。合掌!!