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(回答先: 「日本文明」は、世界の八大文明の中に分類される 投稿者 仁王像 日時 2007 年 6 月 13 日 21:29:37)
副島「私たちは、現代の、痩(や)せ浪人、傘貼り浪人階級なのです。どう頑張っても、寺子屋(てらこや)の先生ぐらいにしかなれない人間だ。…だか私塾(しじゅく)の思想を、今こそ、日本の再興しなければいけないのです。私たちは、在野の学問集団だ。専門学者には、なりようもない。しかも日本土人知識人だ。この日本語というオンボロ言語で、どうやって、厳密な、原典主義、原著作参照主義を、貫けるというのか。」(ブログ’07/05/31)。
副島「日本独自の日本文明でいいではないか、ということであれば、そのように信じて生きてゆかれればいいのです。私は、西欧近代で認める、世界基準に、残念ながら、従わないと、私たちの頭(思考)の枠組みさえの出来ない、と考えています。…日本国内でだけ通用する考えで生きていってください。私、副島隆彦は、そうは考えない、というだけです。
私は、知識人主義であって、西欧近代の知識人たちの思想を勉強して来ましたので、徹底的に知識人言語主義なのです。そうではない生き方の人たちが、どのように居直って生きても、それはそれでいいと思います。ただ、どうせ外側世界では通用しません。そのことをお考えください。」(ブログ’05/11/28)。
教授は、「日本文明不在論」をひっさげて外側世界とわたりあっているのだろうか※(聞いたことがない)。オンボロ日本語や神経質な文化と断ずるが、日本文化の幽玄・霊妙さ、そして日本語の卓越した表現能力の豊かさについては、たとえば清水馨八郎氏が、非常な説得力をもって語っている。
〔※ シナ取材は最近であり、日本文明不在論ははるか以前から唱えている。ハンチントンが裏のあるイデオローグであることは、ヴィクター・ソーン氏や田中宇氏らが暴いている。ハンチントンを批判的に読むべきことはその通りと思う〕
教授の「世界基準」(最近は寺子屋基準?)からくるこんなヒシャゲタ日本認識で、どう効果的に外側世界とわたりあっていけるのか。実践的な力もトンと湧いてこなかろう。オンボロ日本語なら、そもそも教授が世界基準の学識など得られるわけがなかろう。いやいや、世界基準を標榜してきた学者の突然の「寺子屋基準」宣言(とも思える)は、わりかし重大だ。多くの読者は梯子を外されたとの思いを持つのではないだろうか。