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三宅昭良『アメリカ・ファシズム〜ロングとローズヴェルト』(講談社選書)によると、ヒューイ・ロング(1893-1935年)によるアメリカン・ポピュリズムも一歩間違えばファシズムに転化する危険性のあったことを具体的に論証、指摘している。
実際に、ルイジアナ州知事時代は独裁制を敷いた。
三宅「ロングはルイジアナに空前絶後の独裁制を敷いた。言論の自由を踏みにじり、司法権までも手中におさめた。…そしてその状態をほかならぬルイジアナの民衆が支えていた。」
三宅氏は、ヒューイ・ロングをアメリカ・ファシストとも言う。
副島教授は、ヒューイ・ロングに代表されるアメリカン・ポピュリズムを天まで持ち上げ、それを機械的に日本に移入しようとしているのは不可解だ。
日下公人氏が指摘しているように、日本には1500年にわたる共同体精神が培われている。もし日本型・ポピュリズムがあるとすれば、このような精神構造と結びついたものになるのではないのか。高々二百数十年の歴史しかない米国型を持ち込んでも日本人の肌に合うとは思えない。
米国型を即「世界基準」に置き換えているように見えるのも腑に落ちない。無自覚の裡に西洋人社会の政治思想を有難がっているようにも見える。
教授の三宅氏の著作に対する評は次の通り。
「三宅昭良・都立大助教授の『アメリカン・ファシズム』という本の、ヒューイ・ロング理解は、真面目に調べて少しは正確ではあるが、彼は、あまりにも臆病である。日本のアメリカ学会から追放処分にされたくないので、おどおどしながら書いていることがありありと見える。いかにも、東アジアのオリエンタルの若い田舎学者が、留学時代に、アメリカ人から少し聞きかじった知識をふくらますと、この程度の研究論文になる、という代物だ。…三宅昭良は勇気が無さ過ぎる」(ブログ'01.8.7)。
この物言いも、何か肝心なことをはぐらかしている「胡散臭さ」が付きまとうのである。つまり、ヒューイ・ロングを英雄視する教授に対して、三宅氏は、アメリカ・ファシストと呼ぶのである。何故、三宅氏を意図的に史実を歪曲した悪意のある言論である、と言い切らないのであろうか。三宅評に、なにか腰が引けて「臆病さ」を感じさせるのである。
教授が、良心的・真実言論人として努力していることは多とするが、こうした事柄についてもしっかりと筋を通し、シャキとしてほしいと望むところである。