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米国内での政治潮流としての「ポピュリズム」の解説は教授の示す通りであろうし、十分な価値がある(ヨーロッパでは不明)。しかし、日本国内で定着している「ポピュリズム」の使い方は、これまたWikipediaの通りではないのか。日本国では、このように慣用され定着している歴史と実態がある。
この使い方が間違っているとは、何を基準にして申されるのか。米国のものを基準にしなければ、ただでは済まない政治理論上の大問題でも発生してくるのであろうか。そこに大きな疑問を感じる。(もっと言えば、多くの和製英語が日本では広く慣用されているが、こういうものは現地では使われていないなどと、意義申し立てしたり、あざ笑ったりすることに多大な意義があるのであろうか)
また、なにゆえに米国の政治潮流の一つである「ポピュリズム」を日本という精神風土のなかに直輸入しなければならない必然性があるのであろうか? 日本に伝統的にある各種政治潮流の中から良いものを発見し、(場合によっては融合させ)発展・飛躍させていくという発想があっても良いと思う。むしろそれが本流ではなかろうか。
http://snsi-j.jp/boyakif/diary.cgi
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0