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(回答先: モデル思考は弁証法的唯物論の理解不足から生じる 投稿者 ワヤクチャ 日時 2007 年 4 月 21 日 14:11:36)
「石原リード」ばかり報道するマスコミを見聞してそう思った。マスコミ(特に浅野惨めと報道した某スポーツ紙)・右翼は浅野に憎悪を持ち、吉田は相手にすらしてなかった。
ある意味石原以外に受け入れる許容範囲はないんだ。もう浅野ですら許容範囲ではなくなっている。これが今の資本の本音だろう。ゆとりがないんだよ。
今回の知事選で共産党支持者は資本の意志を二大政党制成立と見た。俺は今回何がなんでも石原のショービズムを勝たせるのが資本の意志だと見た。ここが共産党支持者との対立点だったんだ。つまり現状認識の完全なずれが大喧嘩に発展したんだ。多分同じ左派でも浅野陣営と吉田陣営では現状認識が完全に異なるはずだ。浅野陣営は反ファッショを重視したのに対し、吉田陣営はあくまで共産党独自の政策の良さにこだわった。ところが、浅野派から見れば、そのこだわりには焦りを感じたと思う。このずれが埋まらなかったが故に左派はまとまらなかったのだ。
つまり、浅野陣営の方がより現在をファッショ化が進行した時代であると見ているのだ。吉田陣営は日本の資本が二大政党制を受け入れる余裕があるものとみなしている。
俺は日本の資本の意志は二大政党制より一党独裁的なあくまで国粋主義高揚の方向にあると見たので、最後まで共産党とはどうも意見が合わなかったのだ。
同じ左翼でも共産党は社会党までを自民党と同じ資本の陣取り合戦の範囲内とみなし、新左翼(トロキスト・アナキスト等)は共産党までを自民党と同じ資本の陣取り合戦の範囲内とみなすので、決定的な所では共闘出来ない面を持つ。ここが左翼の完全な弱点である。