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「単に両者の間に立つだけの中立で良いのですか」
http://www.asyura2.com/07/dispute25/msg/536.html
投稿者 heart 日時 2007 年 4 月 21 日 20:52:49: QS3iy8SiOaheU
 

(回答先: 人は時に、キレます。そこを理解しましょう。 投稿者 heart 日時 2007 年 4 月 21 日 20:14:03)

有島さんには、
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共産党・吉田支持者は、10%以下の少数派だということを自覚しているのでしょうか
http://www.asyura2.com/07/dispute25/msg/364.html
投稿者 有島実篤 日時 2007 年 3 月 11 日 22:14:47: JnUMLBjEgL1oc
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という投稿の中に、
相手側の「社会的立場」の弱さというような、足元を見た形で、見下して意見を述べた場合に自ずから表れる「偉そうさ」
を見出したことがあります。

≪関連≫
貴方たちは、自分たちが国民をこれ以上失望させ、政治にさらに無関心になることに加担しようとしているということに気づくべき。
http://www.asyura2.com/07/senkyo32/msg/741.html
投稿者 heart 日時 2007 年 3 月 30 日 12:05:58: QS3iy8SiOaheU

人には特性があります。
AAA+さんはとても純粋な方だと思いますが、熱くなりやすい人のようです。
他人の意見が無茶苦茶に思えて、我慢ならなくなってキレてしまった、というのがこないだの有島さんやパルタさんへの投稿ではないでしょうか。

また、阿修羅では、共産党叩きがかなり盛んになっていました。
そんな阿修羅にAAA+さんは業を煮やしておられたのだと思います。
私もかなり嫌気がさしていました。
私が共産党叩きに批判的になったのはごく最近ですが、AAA+さんはおそらくずっと前から共産党叩きに直面してこられたのだと思います。私などが感じた嫌気や怒りよりももっと強い怒りをAAA+さんは感じられたことと思います。
キレて、当たって当然、とは言いませんが、人の気持ちを理解することも必要ではないでしょうか。


以下、私が最近元気をもらった文章を抜粋・転載します。その前にワヤクチャさんに一言。吉田もかなり票を伸ばしたという事実、そして、浅野票と吉田票両方合わせたところで石原には勝てなかったという事実も、直視すべきと思います。反石原候補を一本化することに異議はありませんが、反石原票を浅野に託すことはできないと考えた有権者もいたはずです。共産党支持者以外でもそのように考えた「左派」はいたと思います。
浅野への批判を交わせなかった浅野支持者や、共闘論者は、その程度の弱い候補に頼る戦法が本当によかったのかを再考してみるべきだと思います。


中立・中道を疑う(非国民通信)http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/28d69fc8f346e1fbb6ee30d742283daf

(前略)
あまり言いたいことではありませんが、左派ブロガーの間にもこの「中立」の罠に嵌っている人が少なくありません。日頃から応援しているブロガーが、単なる誹謗中傷と批判を等価において、さも「自分は中立でござい」、みたいな顔をしているのを見るのは辛いものがありました。あばたもえくぼと言います、それが真っ当な批判であっても、自分が応援すると決めた候補への批判は誹謗中傷に見え、対立する候補への誹謗中傷は正当な批判に見えるのでしょうか、差別表現を連発して共産党叩きに血道を上げる反共ブログをさんざん持ち上げておきながら、少しでも批判を受けると「野党内部での叩き合いは止めよう」「石原三選を助ける行為」などと言い出して沈黙と同意(http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/9bec810125315110b8fc7d800e1750d9)を迫る有様。これは感心できません。

 共産党叩きに血道を上げていた人に関しては話してわかる相手とは思っていませんので、こちらから何か言うことはありません。私が言いたいのは、共産党叩きと浅野史郎・民主党への左からの批判を同列視して「喧嘩は止めよう」などと中立面して主張した人に対してです。単に両者の間に立つだけの中立で良いのですか、と。事実を語る人々とフィクションを奉じる人々が対立したとき、両者を等価に置いて、その中央に立てば中立として満足できるというのであれば、それはもう結構ですが。

 少し話が脱線気味になりましたが、ともあれ「中立」「中道」は一見すると肯定的なイメージが強く、誰しも自然と「中道」へと引き寄せられていきます。右にしろ左にしろ、「偏り」は好まれないのです。そしてそれは政党への「偏り」も似たようなものでしょうか。明確に特定の政党を支持する人が減って「無党派」が増えたのはこの「偏り」への忌避感、「中道」志向の結果かもしれません。

 偏りがない中立的な立場、この場合の「偏りがない」は「しがらみがない」とも言い換えられるでしょうか、いずれにせよ有権者の多数―――「無党派」が好む言葉であります。では本当に「無党派」は中立かというとどうでしょうか? 政治家の感覚と庶民の感覚にはどうしてもズレがあります。このズレが大きければ大きいほど、政治家の企図と庶民の願望の間の隔たりも大きくなります。だから庶民は「政治家」の側に偏りすぎない、政治家らしくない政治家を望むのですが、さてその結果は?

 こうして広範な支持を獲得したのが石原慎太郎であり、小泉純一郎、東国原英夫などでしょうか。彼らはいずれも政治家らしからぬ、政治家として異質な存在、少なくともその異質さをアピールできる存在でした。浅野史郎も無党派色をアピールしてはいましたが、政治家としてより異質、異常であったのは明らかに石原慎太郎であり、それこそが無党派の票を分けたのではないでしょうか。より政界への偏りがない、しがらみのない、政治家の感覚とは違う感覚を持っている、そう錯覚させることに成功した候補が無党派の支持を得たのです。

 日本が右傾化しているとは言っても、右翼が栄えているわけでもありませんし、左翼の衰退は言わずもがな、みんな中道なのです。自民党支持層だって昔に比べれば減りましたが、その他の野党支持層だって減っています。みんな偏りがない、バランスがとれたものを目指しているわけです。そしてこのバランス志向、中道志向が知識人階級や大手メディアの沈黙へと繋がっているのかもしれません。つまり特定の立場に立つことは良くないことであるとする気運が、中立という名の沈黙を求め、明らかに誤った政体への批判を封じているのではないでしょうか。

 偏らないことが悪いことというわけではありません。ただし、偏っていないつもり、バランスがとれているつもりの自称中道には要注意であり、増えているのもそういう人です。レイシストと人道主義者の間で、修正主義者と歴史家の間で、反共主義者と左からの批判をする人の間で、仮想敵の脅威を煽る輩と偽りに立ち向かう人の間で、その両者の真ん中に立って我こそは中立、不偏なりと勘違いしている自称中道に頷くことは出来ません。それが少数の意見であっても正しいことは正しい、多数の意見であっても誤っていることは誤っている、たとえそれが最大公約数的な意見から外れることになろうとも、足して割った中立に擦り寄るのではなく、敢えて偏った立場を引き受けて発言する覚悟、それが求められるのではないでしょうか。

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