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「石原と浅野は同じ」という人々は石原と浅野の差異を「なきがごとく」扱います。
私はこのような現実把握の脆弱性が「観念的左派」の致命的な幼稚性を示していると思います。
我々が社会を変革する基盤は何でしょうか?
それは有権者のわずかな意識の差異の中に革新的な内容を見出しそれを基盤にして総体的意識変革を促しつつその有権者の意識を代弁する議員を議会に送り込む事でしょう。
共産党の政策はいかにも正しい。
しかし、その事をもって共産党候補に常に投票する事が正しいとは言えません。
当選しなければいかにいい政策を掲げてもそれは実現しません。
政策提言と立候補を分けて考えなければなりません。
石原都政を批判した共産党の功績は認めます。
しかし、だからと言って共産党候補を支持しなければならないという事はありません。
共産党の成果を民主・社民が簒奪しようとしたと言えるかも知れません。
仮にそうであったとしても民主・社民が立てた候補が共産党候補よりも得票しそうなのであったらそちらに票を集めるべきなのです。
立候補は自由であり、立候補をやめろとは言えません。
しかし、何が都政の為に最善なのかは考えられたのでは?と思います。