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(回答先: 日本共産党支持者はこれを読め!読め!それが日本共産党再生の道だ 投稿者 パルタ 日時 2007 年 4 月 01 日 10:55:42)
今回の浅野候補への批判は屁の突っ張りにもならん下らんものが多過ぎる。その上で今回最悪で無内容だと感じたのは、石原も浅野も同じだというトーンの批判だ!
これを読んで、まだお前らが石原も浅野も同じ反動陣営だなどとぬかすなら、鈍感力認定をしてあげよう。↓
浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』
http://210.136.139.210/genko/nenkinjidai/18.htmより抜粋転載
月刊年金時代2003年12月号
新・言語学序説から 第18回
「失言について」
略
最近のものでは、石原慎太郎東京都知事が群を抜いている。外務省の田中均外務審議官の自宅に爆弾が仕掛けられたことに関して、「彼がそういう目に遭う当然のいきさつがあったのじゃないか」という発言は、自民党総裁選に立候補した亀井静香氏への街頭応援演説の場で飛び出した。私と田中均さんとは、ワシントンの在米大使館勤務時代に同僚として仕事をした仲である。そういったこともあり、許されざる発言であると感じていた。
当の石原都知事は、その後の都議会での答弁で、「田中均なる者の売国行為は万死に値するから、ああいう表現をした」、「ゴルフで言えば、インテンショナルフックですな」、「片言隻句に喜ぶバカなメディアがダボハゼのごとく食いついて、結局、国民はこれをきっかけにして、外務省が何をやったか認識し直してくれたと思う」と発言した。言い過ぎた、言葉足らずだったと思ったら、「ゴメンナサイ」と言ってしまえばいいというのが、ふつうの反応である。石原知事の場合、自分の発言の正しさに自信があるからだろうか、こういったようなフォローになる。
拉致被害者の曽我ひとみさんの母親のミヨシさんについて、都議会の答弁で「年寄りだから、曽我さんのお母さんなんか殺されたんでしょ、その場で」と言ったことについては、さすがに、翌日、「配慮が足りなかった」と答弁した。こういった陳謝は、むしろ珍しい例で、石原知事の失言は、失言ではなく、確信的発言と呼ぶべきものなのだろう。
こうやって書いたら、きりがない。政治家だけでなく、大会社の社長や、病院の院長などが、不祥事のあとに、ついつい失言をしてしまう例も、枚挙にいとまがない。人間は、失言するものなのである。それを聞き逃してしまうか、おおごとにしてしまうかは、マスコミなどの扱い方にもよるが、その後の発言者の対応ぶりにもかかっている。 知事という仕事をしている限りは、失言の危機にいつもさらされている。だから、冒頭に書いたような感じで、開き直ってはならない。特に気をつけるべきは、差別的発言。中でも、セクハラ的発言は、「自分が女性だったら、どう受け止めるか」という想像力の欠如から生まれる。
ところで、今回書いたところに、失言のようなものはなかっただろうか。
(c)浅野史郎・夢ネットワーク mailto:yumenet@asanoshiro.org
今回の浅野候補への「浅野になっても同じ」批判は極めて悪質だ。石原発言の暴力性にそこまで鈍感な人間が一体何に反対するというのか?
浅野候補を批判するにしても石原と同列に扱うなって!日共支持者の人権感覚が問われているのですよ!