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(回答先: 母なる大地(私を生かしてくれている自然)には感謝しています。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2007 年 3 月 18 日 21:44:46)
自然に対してなぜ感謝するのでしょうか?
それは、自己とのつながりを自然を通して学んだからでしょうか?
それとも、学問的な知識からそれが正しいと認識したからでしょうか?
感謝を捧げることに私は神性を見ますが、、。
人々はミクロとマクロの対比についてよく言及しますが、比喩として地球を人類に例えると我々は各器官であるか、それとも細胞のただ一つ一つであるのかもしれません。
我々の体の細胞の一つ一つは我々の意思とは無関係に機能しております。
あたかも与えられた役割をただ実行しているがごとくです。我々の生存は選択するしないに関わらず、肉体が優先して行う行為です。
つまり、現時点での人間の生命とは、自然の中にあります。
さて、自己とは、どこ迄が自己でしょうか?
脳でしょうか?心臓でしょうか?体全体でしょうか?
また、切り離された部位はもはや自己ではないのでしょうか?
どこ迄が己かも知らぬ人類が神を理解することはとても至難なのだと思います。
他との繋がりを知ることが神を知ることに近づくことである気がいたしますが、、
実際は己すら未知のままであり、、
また、己とは既に他であるのかもしれません、、。
>自然を意図されたもののように描く事は真理から遠ざかるし、人間が自然に対して責任を持つという主体的能動的な発想からの逃亡であると感じます。
人間は自然に対してどのような責任を持ちえるのでしょうか?
「万物の霊長」と驕る論理を否定することには同意いたします。
しかし、そこにも私は神的な性質を見てしまいます、、。
もしかしたら、人間が未知のエネルギーを神と云うのではないでしょうか?