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日本の新興宗教団体は元気ですね。選挙対策で走り回らせる宗教団体があるかと思えば、珍味売りもあるようです。神や仏を出汁に商売してると、神の国へはいけませんよ。宗教ビジネスですね。これではとても天国や極楽へはいけないと思われます。これが聖書が言うこの世の終わりと神の国の実体みたいです。ちょっとまとめて見ました。
(宗教の云う、神の国とか、極楽とか、神界とか、エデンの園とか、ミロクの世とかはどういうもの?宗教では言い方が違いますが、そんな目に見えない世界があるといっています。名前は違うけれども、霊的世界はあるというのです。)
「人民一度死んでくだされよ、死なねば甦れん時となったのぞ、今までの衣をぬいで下されと申してあろう、世が変わると申してあろう、地上界のすべてが変わるのぞ、人民のみこのままというわけには参らぬ、死んで生きてくだされよ、タテカエ、タテナオシ、過去と未来と同時に来て、同じところで一先ず交じり合うのであるから、人民にはガテンがゆかん、新しき世となる終わりのギリギリの仕上げの様相であるぞ。」
「・・・今の肉体のままでは、人民生きて行けんぞ、一度は仮死状態にして魂も肉体も、半分のところは入れかえて、ミロクの世の人民として甦らせる仕組み、心得なされよ。・・・・・・・」
「マコトでもって霊化される、半霊半物質の世界に移行するのであるから、半霊半物質の肉体とならなければならん、今のやり方ではどうにもならなくなるぞ、今の世は灰にするより他に方法のない所が沢山あるぞ、灰になるにくたいであってはならん、原爆も水爆もビクともしない肉体となれるのであるぞ、今の物質で作った何物にも影響されない新しき生命が生まれつつあるのぞ。岩戸ひらきとはこのことであるぞ・・」
*臨死体験とか幽体離脱という不思議な体験をした人はここでいう、原爆や水爆にもビクともしない肉体となれるという意味が手に取るように分かります。実はわたしも体験した事がありますが、冬の寒い日の夜明けに眠った状態から幽体離脱、霊であるわたしの本体が肉体から抜け出したことがあります。零下の気温だったのに、空中へ飛び上がったのです。外へ出ても春のようにぽかぽかしていました。寒さを感じないのです。これなら、原爆や水爆の数千度の温度にもびくともしないでしょう。
「神の世と申すのは、今の臣民の思うているような世ではないぞ、金は要らぬのざぞ、お土からあがりたものが光りて来るのざぞ、衣類食べ物、家倉まで変わるのざぞ。草木も喜ぶ政治ともうしてあろうがな、誰でもそれそれに先の分かるようになるのぞ。お日さまもお月様も海も山も光り輝いて水晶のようになるのぞ。悪はどこにもかくれることは出来ん様になるのぞ、ばくち、しょうぎは無く致すぞ。雨も要るだけ降らしてやるぞ、風もよきように吹かしてやるぞ、神をたたえる声が天地にみちみちてうれしうれしの世となるのざぞ。」
「神の国光りて目開けて見れんことになるのざぞ、臣民の身体からも光が出るのざぞ。その光によりてその御役位、分かるのざからみろくの世となりたら何もかもハッキリしてうれしうれしの世となるのぞ、今の文明なくなるのでないぞ、玉入れていよいよ光りてくるのぞ、手握りて草木も四足もみな唄うこととなるのぞ、み光にみな集まりて来るのざぞ、てんし様の御光は神の光であるのざぞ。」
天国の様相が書いてありまして、こんな注意書きも添えてあります。
「この世のやり方、わからなくなったら、この神示録をよましてくれと云うて、この知らせを取り合うから、その時になりて慌てん様にして呉れよ。日本は一度つぶれた様になるのざぞ。一度は神も仏もないものと思う世がくるのぞ。・・・・」
「大峠の最中になったら、キリキリまいして、助けてくると押し寄せるなれど、その時では間に合わん、逆立ちしてお詫びに来ても、どうすることも出来ん。皆己の心であるからぞ、今の内に改心結構、神の申す言葉がわからぬならば、天地のあり方、天地の在り方による動きをよく見極めて下されよ、納得の行くように致して見せてあるではないか。」
上の言葉は古事記、日本書紀に出て来る、地球創造神で龍神の日本の神、国常立尊(くにとこたちのみこと)の神様からのメッセージですが、それによると、
大峠の最中になったら、その時では間に合わないそうです。信じられない人は信じなくてももかまわないとのことで、ただ天地で起こることをよくみておくようにしなさい。未来のことを書いておくからというのです。
続いて、聖書の神の計画です。
復活への重要な掟:天国へ行く資格 隣人愛これに尽きるようです。No1
(日本人とアメリカ人の指導者の方に愛を込めて)
世の終わりが来ようと、結局大事なことはこれに尽きるようです。政治家先生、渡り鳥の官僚の先生、財界の金持ち先生はどうでしょうか。鯨が針の穴を通るよりも難しいと思いませんか。
「もっとも重要な掟」
ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言いこめられたと聞いて、一緒に集まった。そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。
「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」
イエスは言われた。
「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」
これが最も重要な掟である。
第二も、これと同じように重要である。
「隣人を自分のように愛しなさい。」律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。
(マタイ書22章34節)
「最も重要な掟」
・・・
「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」
イエスはお答えになった。
「第一の掟は、これである。イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。
第二の掟はこれである。「隣人を自分のように愛しなさい。この二つにまさる掟はほかにない。・・・」
(マルコ書12章28)
「よいサマリア人」
ある立法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。
「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことが出来るのでしょうか。」
イエスが「律法に何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、彼は答えた。
「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また隣人を自分のように愛しなさい。」とあります。
イエスは言われた。
「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」
しかし、彼は自分を正当化しようとして、
「ではわたしの隣人とはだれですか」と言った。
イエスはお答えになった。
「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎにおそわれた。追いはぎはその人の服を剥ぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが旅をしていたあるサマリア人は、そばにくると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」
律法の専門家は言った。「その人を助けた人です、」
そこでイエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
(ルカによる福音書10章25節)
「金持ちの議員」(永遠の命と行為)
ある議員がイエスに「何をすれば永遠の命を受け継ぐことが出来るのでしょうか。」と尋ねた。
イエスは言われた。
「姦淫をするな、殺すな、盗むな、偽証をするな、父母を敬えという掟をあなたは知っているはずだ。」
すると議員は「そういうことはみな、子供の時から守ってきました。と言った。これを聞いて、イエスは言われた。
「あなたに欠けているものがまだ一つある。持っているものをすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば、天に富を積む事になる。それから、私に従いなさい。」
しかし、その人はこれを聞いて非常に悲しんだ。大変なお金持ちだったからである。
イエスは、議員が非常に悲しむのを見て、言われた。財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」・・・
(ルカによる福音書18章18節)
隣人愛の境地にいたれるようにこれからできる範囲で心がけることをしていれば、あっという間にこの世の終わりの期間が過ぎるかもしれません。食物連鎖のこの世では出来ないことですが、せいぜい、日本や世界の番頭のように、エゴの固まりにならないようにすればいいのではないかと思っています。
復活への重要な掟:天国へ行く資格 隣人愛これに尽きるようです。NO2
「敵を愛しなさい」
わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言うものにも祝福を祈り、あなたを侮辱する者のために祈りなさい。あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬を向けなさい。上着を奪い取る者には、下着を拒んではならない。求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。
人にしてもらいたいことをしなさい。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。また、自分によくしてくれる人に善い事をしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。返してもらうことをあてにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとしてして、罪人に貸すのである。しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人によいことをし、何もあてにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。・・・・・あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」
*自分と関係ある人たち(親、兄弟、上司、友人など)への愛はまだ一種の利己愛というのです。自分と関係ない人へ行う愛、自分にして欲しい愛の行為は隣人愛です。これがキリストの説く愛です。仏教でも仏教の最高の境地は「慈悲と施し」をすることを求めています。これが極楽へ入る最高の早道であるといいます。法華経ではこの境地を説いています。
「われが助かろうと思うたら助からぬのざぞ、その心我よしざぞ。身魂みがけた人から救うてやるのざぞ、神うつるのざぞ。・・・・・」
「人の子が現れる日にも、同じことが起こる。・・・自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである。・・・」
*世の終わりの終末の日にも、同じことが起こる。自分だけが生き延びようとする者は他者を踏み台にしたり、他人を犠牲にするので、永遠の命を得ること(天国へ入れず)が出来ず、そうしない者は帰って永遠の命(天国へ入れる)を得るのである。
「他を愛するのは真愛ぞ。己のみ愛するのは自己愛ぞ。自己愛を排してはならん。自己愛を広げて、大きくして真愛と合致させねばならん。そこに新しき理(みち)ひらけるのであるぞ。自己愛を悪魔と説くは悪魔ぞ。無き悪魔つくり、生み出すでないぞ。一段昇らねば判らん。」
「公のことに働くことが己のため働くこと。大の動きなすために小の動きを為し、小の動きなすために個の動きなすのであるぞ。」
*天国にいる霊人、神の国にいる霊人は隣人愛を持った者たちであるらしい。一人が万人のために、万人が一人のために、自然に、奉仕することが出来るらしい。天国に入るにはこの意識のレベルが必要とイエスは言っているようです。ホームレスや日払いの仕事の日当で一日の糧を得ている人たちがいます。この人たちの所に行って、食事や奉仕をしている人たちが日本にもいます。この人たちは多分天国へ行く資格を持っているような気がします。彼らのなしている行為は結局隣人愛なのです。自分で出来る範囲で隣人に何かをしてやれば言いと思います。この世ではこんな生き方は受けませんが、神の国では受けるらしいです。